故人のためにできること
いつもありがとうございます。
他の方の問答、法話なども拝見、拝聴しておりますが、良く分からないのでご指導ください。
大切な彼が亡くなりました。
彼を支えられなかったことを後悔しています。
あんなに素敵で優しい彼は死を選ぶほど辛かったにも関わらず、彼の優しさに甘えるばかりの自分勝手で未熟な私は今もこうして息をして食事をとって、生きています。
毎月お墓参りを欠かさず、ご先祖さまの供養やや親孝行をしていた彼がこんなに苦しみ、ご先祖さまのお墓参りも行かない私は生きています。
毎日彼を想って、お経や念仏を唱え、思い出を辿り、彼の好きな曲を聞き、彼に話しかけ涙しています。
しかし、これらは結局遺された私のために行っていることで、彼のためにはなりません。
もちろん、優しい彼は、私の幸せを祈ってくれていると思います。逆の立場でも、私は彼の幸せを願います。
それでも、これ以上ない愛と優しさで包んでくれた彼に何も返せないことが辛くて辛くてたまりません。
亡くなったことで、彼は苦しみから解放されたのだと思います。
それでも、なぜ皆に優しかった彼があんなに苦しまなければいけなかったのかと考えると悲しく悔しく、彼が報われないと思ってしまいます。
遺された私のためにではなく、彼のためになることは何があるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「追善供養」
nyantanさま
大切な方を亡くされましたお苦しみ、誠におつらいことでございます。
追善供養は、亡くなられた方の悟りへと向けた大事な力となります。
悟りへと至るためには、必ず智慧の力と功徳(福徳)の力が必要となります。
その一つである功徳(福徳)の力を届ける供養が「追善供養」となります。
功徳とは、善い行いの積み重ねのことになります。
善い行いは、自分の功徳になることはもちろん、それを回向することで、亡くなられた方、あるいは、全ての衆生たちに向けても届けることができます。
亡くなられ方の更なる善い赴き、善いご仏縁による導きがありますようにとして、善い行いを届けて頂けましたら有り難いことでございます。
それは、お墓参りや仏壇へのお参り、あるいは年忌などの供養に向けて、少し彼のためにとして何かなさられて頂いて、彼のことを想い手を合わせて頂くことで届けることができることでしょう。
追善供養のことにつきまして、下記にて少し話をさせて頂いております。
ご参考にして下さいましたら有り難いです。
拙法話「追善供養」
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
自分の中で理解を深めることに時間を費やし、お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
「追善供養」「回向」として、故人のために功徳の力を届けることができるのですね。
動画の最後でお話いただいていた、伝えた人が善行をすることで、伝えた方も功徳を積めるということが特に心に響きました。
彼はいつも、みんなをハッピーにしたいと言って、優しさで包んでくれる人でした。
面識の無い方に対してですら、可能な範囲で親切にする、見返りを求めない方でした。
彼のように周りの方に親切にすることや、亡くなった方のお墓参りに行くことで、それを身を以て教えてくれた彼の功徳に貢献できるのであれば嬉しいです。
前回に引き続きご回答いただき、ありがとうございました。