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彼氏が盗撮していました

回答数回答 1
有り難し有り難し 32

相談させてください。

結婚を考え同棲中の彼氏が盗撮をしていました。
家の中に小型カメラを設置しようとしていたみたいで、新品の小型カメラを見つけました。
過去にも自分の部屋に小型カメラを設置していたことがあります。

データに関しては全てないことを確認しています。

何度も話し合いをし、彼が自分のことを「怖い、普通の人になりたい、変わりたい」と言った言葉を信じたいと思っています。
別れることも考えましたが、そんな彼でもまだ感情が残り、更生させたいと思っています。

この事実を私の親に全て告げました。

一緒にいることを選んだと伝えると、「信用もないのに、もうしないって保証はあるの?」「同じことを繰り返し、捕まった時に周りへの影響はどうするの?」と言われました。

それはその通りだと思います。

信用を取り戻すためにはどうしたらいいのか、覚悟を示すためにはどうしたらいいのか、考えても十分な答えが出ません。

長文になってしまい申し訳ありません。

何かアドバイスや、考えるためのヒントを頂けないでしょうか。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

(*´💋`)こんにちは♡
男女アダルトお悩み相談室のタン子・デラックスです。
偉いわねぇ。彼氏の更生に付き合うだなんて。
でも盗撮は犯罪ヨ?いい?犯罪なのよ?犯罪。それはあなたがすることではない。
映画館でも目にするこの言葉。
「盗撮は犯罪です。」もう一度言うわよ?犯罪。
だから、結婚はやめた方が貴女の為。
貴女と交際しながらもまだ盗撮グッズがあるその時点でアウト。
貴女を守る気がない。
犯罪は犯罪。盗撮は犯罪です。
家族に盗撮するなら家庭の問題かもしれませんが、あなたたちはまだ家族ではないの。しかもその盗撮行為を他でやったらもう社会的におしまい。THE END💀
あなたもリスクを背負わされるケースも出てくる。彼がきちんとした職場で仕事をしていても、盗撮がバレたら首、逮捕モノ。その後の再就職も厳しい。お子さんが生まれた後でパパの盗撮が表でバレちゃったら妻、子供の母親として、ああ、まだ盗撮していただなんて知らなかったァ(´-ω-`)じゃぁ済まされる問題じゃァないのよ?
「(T_T)主人から盗撮はもうやめたと聞いておりました(泣)」?何の説得力も無し。そんなことを言わなくてもイイヒトと結婚しなさいヨ♡
別れるのが一番。
イケメンだろうが好きな人だろうが犯罪者は犯罪者。
「盗撮は犯罪」
まず、これをあなたがマントラの如く百回以上、複唱しましょう。
第一優先はその人とではない安全な家庭を作る事。
優先順位を間違えない女子であれば、30回も念じない内に目を覚ますでしょう。
盗撮した動画は繰り返し再生しても内容は変わないけど、恋だの愛だのはやがて変わるの。変化するの。劣化するの。冷めるのよ?
今あなたは結婚に向けて熱を上げているから冷静な判断ができないと思います。
この意見も反発する心理になっていると思います。
好きな彼氏の罪も認めてしまうかもしれません。恋に落ちた女性ならではの危険な心理にある可能性もあります。皇室の結婚に世間が猛反発しているのも女性はその後のことを考えずに一時の情でみな失敗・後悔しているからそうなる前に止めてあげたいという気持ちでもあるのです。
大事なのは彼よりもあなたの超安全な家庭の存続。
私は仏の慈悲で何でも許しちゃう人は危険だと思います。そこは妥協せずにおかしいことはおかしいと断ずるべきです。犯罪は犯罪。私的感情を介入させない。盗撮は犯罪♡です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございました。
彼とは別れることにしました。

前に進めるようにがんばりたいと思います。

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