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別れるしかないんでしょうか

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有り難し有り難し 26

私には付き合って4年の彼がいます。
私は都内のキャバ嬢
彼はガールズバーの経営をしています。
今年に入ってから彼の経営するガールズバーの女の子と一緒に住んでるのがわかりました。
彼女は仕事はできるものの
コロナの影響で家もなく
お金を貯めるまでのあいだ
彼の家に住むことになったみたいです!
彼はその女の子に何も感情はないみたいですが
私はどうしてもその状況は納得できなく
彼の嫌がる発言、行動、態度をしてしまい
彼にストレスを与えてしまいます。
その度彼にはもう無理と言われます。
いつまでこの状況が続くかわからずゴールもみえなく
毎日眠れないし、
このまま消えてしまいたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

別れるべきは自分を大事にしてくれない人を選んでしまう自分。

あなたが見ず知らずの男を家に連れ込んだり、仕事で関係のある男性を家に連れ込んだらどんな正当な理由や理屈を言ってもそれは「おかしなこと」として当然、誤解されるものですし一般社会では彼氏彼女がいながらそんな理屈は通りません。夫婦関係であれば完全に不倫・不貞行為。芸能人であればフライデーものです。
相手に誤解されるようなことをする。また、それを嫌がるパートナーがいるのに継続すると言う事は「そういうこと」とみなしてよいのではないでしょうか。
男女は最終的に家庭に入るわけです。家庭に見ず知らずの為政を連れ込む人はいません。必ず男女の関係になるものです。僧堂でも昔、男女をごちゃ混ぜにしたらやはり問題が起こりました。そういうものなのですから、そういうものを良しとしようとする男性とは関わらない。色んな人にちやほやされるのが好きな人は家庭的ではないということです。
ガールズバーもキャバクラも要は女性を働かせて経営者が儲かるシステムです。
そういう職務に携わる男性は女性を商品化する感覚もないわけではありません。
昔から女衒といって、女性を必要とする男性の相手をさせる女性を囲んで自分のいいように使う職業と言うものは良い者とはされてきませんでした。いわゆる、普通の人の感覚では黒服と言うものは「できない」ものです。男女を対等に扱う感覚がある人であればそういうお店で勤務しようとは「思わない」ものではないでしょうか?そういう心理も見抜く眼を持ちましょう。
自分を大事にする心理が愛を見つけ、愛を正しく選定して、その愛によって傷つくことが無くなるのです。
あなたを大事にする気持ちのない異姓は愛のない人です。ビジュアルや女性騙しの綺麗なことば、きれいな嘘に騙されなくなることが大人の女性です。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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