hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

不倫関係を断ち切りたい

回答数回答 1
有り難し有り難し 40

やってはいけない事と知りつつw不倫してます。
数ヶ月に1回会ってます。
相手の方を嫌いになった訳ではないけど
やはりこう言う関係は良くないと。断ち切りたい。自分の意思の弱さなのでしょうか…相手の方になかなか言い出せず悩んでます。
今月また会います。断ち切りたい自分とウキウキしてる自分がいる事に嫌気がさしてる今日このごろです。
お坊さん、私はやはり意思が弱いのでしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そういうのを快楽という

自分を誤魔化し、快楽の正当化するエゴエゴが不倫です。
お互い別れて一緒になるかっつったら、それはしない。
愛だと思いたいが、今の家族を壊してまで貫き通す愛でもないという中途半端さ。
お互いのウソの付き合い。
お互いの都合がちょうどいい。
お互いの傷の埋め合いにちょうどいい。
胸を張って愛だと言えない。
それが不倫です。
自分を大事にしてもらいたがっている。それをくれない夫、妻。
そこのかけたところをお互いに埋め合っているだけではないでしょうか。
好きで好きでしょうがない。
でも、その好き、の本質は「この私の自己中心的な欲求を満たしてくれる」から。
所詮自分ラブです。
相手の持ち物をぶち壊してしまう配慮の無さこそが無宗教性だからです。
気づいた時には遅い。出はいつ気づくべきか。今です。別れるのも今です。
縁を切ったらもう振り返らない。
ここでこの男の意見を採用して行動しないとズルズルです。あとはもう知りません。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。ものすごくスッキリしましま。断ち切る迷いがあるからこそ「今」なんだと思いました。
本当にありがとうございました。

煩悩スッキリコラムまとめ