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祖父の余命

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大学1年生のものです。GWのため実家に戻ってきたのですが祖父の余命があと2.3ヶ月だと知りました。
去年一度倒れてしまいましたが持ちなおし、普通に過ごせていたのですがもうダメなようです。

先日祖父母の家に行ったのですが、ほとんどベットに横になっていました。頑張って話そうとしてくれていたのに、話していると私が泣きそうになってしまい、あまり顔も見れず、少ししか話せませんでした。今になってもっと話せばよかったと後悔してしまいます。会いたいですが、会いたくないようなうまく気持ちの整理ができません。元から涙もろく、祖父のことを考えてしまい今も涙が止まりません。いつかは誰しも亡くなってしまいますが、身近な人がなくなることは初めてです。祖父のことばかり考えてしまい辛いです。うまく切り替えられる方法を教えていただきたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

おじいちゃんは人生の無常や命の尊さを教えてくれるでしょう。

こんばんは。亀山純史と申します。

おじいちゃん思いのお孫さんがいて、おじいちゃんも幸せですね。

さて、「身近な人が亡くなることは初めて」とのことですが、あなたにとってそのようなおじいちゃんは、あなたに人生の無常や命の尊さを教えてくれることでしょう。そして、人生の無常や命の尊さを実感することは、あなたを人として大きく成長させてくれるはずです。

さやさんは、今までに何人もの死を見聞きしていることでしょう。ですから、頭では、知識としては、私たちはいずれは死にゆくものであることは分かっています。しかし、本当に死というものを受け入れることが出来ているか、と言えば、そうではなかったのです。そして、そのようなあなたに対して、おじいちゃんは「人生は無常であり、命とは尊いものである」ということを教えてくれることでしょう。

おじいちゃんが亡くなることは、とても悲しいことです。しかし、その悲しみを無理に払拭する必要などはありません。悲しみは悲しみとして感じてください。その中に、上記したような人生の無常、命の尊さへの教えはあるのです。

以上が私からの回答です。私からのこの回答が、おじいちゃん思いの沙耶さんにとって、少しでお役に立てれば幸いです。

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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。祖父は大切なことを教えてくれているんですね。無理に払拭しないでいいとおっしゃってくださり、少し気持ちが楽になりました。
感じるままに過ごそうと思います。本当にありがとうございました。

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