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不倫相手に振り回されずに生きるには

回答数回答 1
有り難し有り難し 13

いつも相談に乗って頂きありがとうございます。

主人のうつ病が少しマシになってきたかな?
表情も昔のようになってきたなと思ってはまた落ち込み目つきも暗くなり、また良くなってきたなと思ってはまた落ち込みの繰り返しで主人が落ち込む時の原因を話してきたのですが、
どうやら不倫相手だったニューハーフのインスタの写真を見てダメージを受けうつが悪化するとの事で、ニューハーフが新しい彼氏と仲良く写っている写真を見てダメージを受けるのか、
又は写真を見る事で多少なりとも私や子供に罪悪感を感じダメージを受けるのかわからないのですが、再構築すると決めた以上早く忘れて
少しでも不倫前のように戻りたいと思っているのに、ニューハーフは新しい彼氏と幸せに楽しく暮らしているのに、うちはいつまでもニューハーフに振り回され苦しく悲しくなってきました。
ニューハーフの写真を見るたびにうつ状態に引き戻されてはなかなか前に進むことが出来ません。
どうすればニューハーフの存在に振り回されず
穏やかに過ごせるようになるのでしょうか?
何かお言葉を頂ければ有り難いです。
宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ガス抜きになれば幸いです。強くなりましょう。

私ならばひっぱたきます。笑
(# ゚Д゚)「テメー、不倫ですら重罪なのに、は!?ニューハーフだと!しかも今も未練たらしく被害者ぶって凹んで❝フラれた俺チャン可哀そう❞ってか?そりゃー、こっちのセリフだ!なんでアタシの魅力が男に負けニャぁならんのよ!しっかも何テメー被害者ポストゲットしてかわいそうなフリしてんだ。〇流ドラマか!うちの子らの学費の為に貢いだ金全部取り返してこいや!この💀👹(以下略)」
とは言いませんが(言ッテルワ)、私があなたの立場だったらそんな心境で被害者面している旦那をひっぱたいて目を覚ましていると思います。
そもそも見知らぬゲイ彼に心奪われ浮気&貢。家の家計も傾けて変態プレイを楽しんでいた旦那はどんなに美化しようが普通に変態です。せめて、離婚してあなたと別れてから♂ってこいって話ですわ。チャゲアスばりに何度も言いますが、被害者はあなたです。問題は旦那だけ。罪逃れ、未練、うつや被害者ポストを理由に批判の矛先が向けられないようにする心理。自分のあさましさ・エゴに向き合わないあなたの旦那の問題だけです。善意で加害者を無理に擁護しようにも世の中限界というものがある。
不倫がどうか、浮気がどうかというよりも、そもそもご主人のそのジコチューで暗いものの考え方が問題なのでしょう。人は幸せになるために生まれてきたのに、テメーはちゃっかりゲイの花園で甘くDEEPな🌹関係になって変な花咲かせて、やることだけやってフラれてⓅpopのPVみたく「俺ってかわいそう」なうっとりチャンをかましておられる。本当のことを言おうもんなら毎度の脅迫めいた鏡パンチか。そりゃー、奥さん、あなたが可哀そう。救われようがない。
単純に旦那のジコチューと後ろ向きネガティブな性格を改めればよいのではないでしょうか?人間は人間性。愛があればサポートし、冷めてたら、子供たちを味方につける。どう考えたって親父がやってることは変態なんですから、上手に離婚するか未来永劫ATMの刑に処されるべき案件です。なんで我が子よりゲイ彼に投資やねん。人間ズバリ本音、本心をつかれると弱いもんです。
第三者を交えてもお二方の関係がより良くなる為に、旦那が罪を素直に認めて未練も捨てて、許してもらいたい心理からの変な被害者ぶることもやめさせて普通に嘘なしでやり直すことが一番です。せめてガス抜きになれば幸いです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下覚元様

お忙しい中お返事頂きありがとうございます。
主人は謝ったからもうニューハーフや不倫の事は一切責めないでと言ってるので、その話題を出してまた暴れたりされたら怖いので何も言えなかったのですが、気持ち良いぐらいに私の気持ちを書いて下さりスカッとしました。
私自身が悩みすぎてメンタルを病んでしまいそうなので、何度もこちらでお話を聞いて頂き心のバランスを保っている状態です。
本当に感謝しております。
ありがとうございます。

あと、主人は批判の矛先が向けられないようにそして許してもらいたい心理から被害者ぶってかわいそうな自分でいるのですね。
暴れたりするのが怖いと思っていましたが意外と気が小さいのかもしれませんね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ