未婚の母になる予定の者です
はじめまして。
私は24歳の未婚のママになる予定の者です。
9月に子供が産まれる予定で、子供が産まれることは本当に嬉しく不安もありますが頑張っていこうと思っています。
しかし相手の方のことを思い出すと辛くてあんな人がのうのうと生きてるのがすごく嫌です。
相手の方とはお付き合いして、結婚の話や子供ができたらちゃんと責任とると言われていました。それを信用していましたが子供ができたと伝えたら自信がないと言われおろしてほしい旨を言われました。
私は産みたいことを伝えて結婚とかはいいので責任は果たしてほしいし話し合いくらいちゃんとしてくださいと伝えましたが返信が来ることはなくずっと無視されていました。
もう諦めのラインを送った時に感情的なところが無理でした。と書かれていて本当にこの人は心がないんだなって思いました。
精神的にも限界でもう関わることがしんどくなり私から連絡の手段をやめました。
産むと決めた道に後悔はありませんが、
どうしてそんな簡単におろして欲しいや、自分の責任から逃げられるんだろって憎しみの気持ちが止まらなくなってしまいます。
この気持ちを鎮めたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「憎しみ」を整理していく
こんにちは。
お一人で出産、子育てをしていくのは心身ともにお辛いことでしょう。
お腹を痛めるという、未知の経験への不安。
全て世話をしなければならない命への責任、その重圧。
あなたの不安はいかばかりかと推察します。
また、「子供ができたらちゃんと責任とる」という約束を反故にした相手への怒りもあるでしょう。それは本当に残念なことだと思います。
「産むと決めた道に後悔はありません」という言葉に力強さを感じます。
ぜひ、ご自身のペースで新しい命を支え育んでいってください。
一点気になったのは、相手に認知をさせたのかなということです。
「精神的にも限界でもう関わることがしんどくなり私から連絡の手段をやめました」と書いています。なるほど、そういう気持もあるでしょう。もう、とにかく関わり合いになりたくない、というお気持ちは。
ただ、こと子供さんの将来という視点にたてば、そこに何らかの経済的なものが付加されれば若干でも余裕がある生活だができるという、冷静で現実的な見方もあるのではないでしょうか。あんな人のお金や助力は必要ない、という気持ちもあるかも知れませんが、ここはドライに割り切ることも必要ではないかとも思うのです。
「憎しみの気持ちが止まらな」いのもの無理はありません。
しかし、ここはドライに「子供ができたらちゃんと責任とる」という約束を養育費という形で履行させてあげる、と考えるのです。言葉の重みを分かってもらいましょう。簡単に「責任から逃げられ」ないことを、きちんとした筋道を踏むことによって「憎しみ」を整理していくのです。
認知には、任意認知と強制認知があります。
任意が駄目なら、弁護士さんに依頼してDNA鑑定等を法的拘束力を持って認知させるのです。
子供さんのためにも、そしてあなたの将来のためにもここは冷静に然るべく手順を踏むことが、あなたの感情を鎮め、出産子育てを順調に軌道に乗せる最上の手だと思います。