亡くなった父に対する後悔が消えません。
昨年父が亡くなりました。倒れてから寝たきりになり、数ヶ月に息を引き取りました。
短い時間でしたが自宅で介護ができましたし、家族全員できることは全てやり切ったと思っています。
父も幸せだったのではないかと信じたいのですが、後悔していることがありその気持ちがなかなか拭えません。
まず、花嫁姿も孫の姿も見せられなかったこと。最後に元気な父な会った時、そっけない態度をとったこと。最期を看取れなかったこと。よく眠るようになった父を、病気かもと疑わなかったこと。
幸せな思い出がたくさんですが、そんななかで後悔も消えません。
父が夢に出てくると、決まって笑顔です。現実と同じく入院していても、夢の中では歩いていて、笑っていて、家族を愛しんでいる雰囲気を感じます。
そんな夢を見た朝ほど、もっとしてあげたかったことが浮かんできて、仕事中にも辛くなりそうになるので、無理やり忘れます。
そうすると、無理やり忘れるなんて父も悲しむのでは、なんてことも考えてしまいます。
誰との別れでも後悔はあると思いますが、どうやって乗り越えていけばいいのでしょうか。前に進んでいくための言葉をいただけるとありがたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
きっとお父さまは生まれてきて良かったと思われたことでしょうね
お父さまの夢を見られるのですね。夢で会えているのですね。最期の時間を、ご一緒出来たこと、家族で共有出来たことは、これからの大きな支えになると思います。
愛おしい人ほど、別れは辛く深いものです。
愛別離苦という、遺されていく者にとっては苦しみにもなりますが、それはその人と出会ったからこそ 生まれる感情ですね。そして、想いは尽きないのも、また人間です。次から次へと、もっとこうしてあげたかった、まだまだ一緒にいたかったと、その執着は切れないものですね。それは、煩悩というものでありますが、だからこそ、繋がった縁を、喜ばすにはいられません。
お父さまがいてくださったから、あなたの命が存在します。あなたが、これから先、出会っていかれる縁も、ずっと繋がっていく縁となります。
いつか後悔よりも、お父さんのおかげで私は手を合わせる生き方をしているよ、様々なご縁に対してつながりを感じているよ、お父さんが教え気づかせてくれたことだよと、思える日がきますよ。
あなたを通して、その景色をお父さまに見せてあげてくださいね。仏様が、それをお父さまに届けてくださるわ。
終末期に関わっていますとね、皆さん、人生を振り返られます。お父さまの最期に、あなたがそばにいて、ご家族がそばにいた。
きっとお父さまは、生まれてきて良かったと思われたことでしょうね。あなたの未来より、あなたの存在自体が喜びだったと思いますよ。あなたが娘で良かったと。
お父様は見守っています
拝読させて頂きました。
お父様はそのように思われるあなたのことを心からありがとうと思っておられると思います。あなたや皆様がお父様をお世話なさり看取られたことをお父様はとても感謝なさっておられるでしょうし、お父様は仏様に導かれてご先祖様方々に優しく迎えられて旅だっていかれたでしょうからね。
お父様が仏様に救われて心安らかになりますよう仏様にお祈りさせて頂きご供養申し上げます。至心合掌 南無阿弥陀仏
お父様は仏様のもとご先祖様方々に再会なさり心から喜ばれ安心なさいます。お父様は一切の迷いや苦しみからも救われて、ご先祖様方々と一緒に心穏やかに円満にご成仏なさいます。そしてお父様はご先祖様方々と一緒にこれからもあなたやご家族の皆様を優しくお見守りなさって下さいます。
あなたの悲しみや後悔は消えないとは思います。どうかお父様を心からご供養なさると共に、あなたのその思いをお父様にありのままお伝えなさって下さいね。お父様はあなたのその思い全てを優しく受けとめて下さいます。そしてあなたに寄り添って優しく励まして下さいます。
お父様とあなたや皆様とのご縁はこれからもずっと永遠に続いていきますからね。
いつでもどこでもどんな状況でも心からお父様にお話しなさって下さいね。
あなたや皆様がこれからもお父様とのご縁を大切になさりながら、皆様仲良くお健やかに幸せに生き抜いていかれますようにと心からお父様にお祈りさせて頂きます。
またあなたのお気持ちをお聞かせ下さいね。
質問者からのお礼
>中田 三恵様
ご回答ありがとうございます。
「その人と出会ったからこそ生まれる感情」とても心にすっと入るお言葉です。
生まれてからずっと父から愛をもらってばかりで、自分は何も返せなかったのではと後悔が尽きなかったのですが、私も心から父を愛していたから、こんなにも悲しくやるせないのですね...
私は実家から離れて暮らしておりますので、父が倒れてからもコロナの影響でなかなか思うようには会えませんでした。お見舞いは認められないため、お医者さまから自宅介護ができる状態ではないと言われながらも、看護婦さんに教えてもらい、たった1週間でしたが自宅で介護ができました。
病院では点滴からの栄養摂取で笑顔も見せない、話さない、もちろん動かないという寝たきりの父が、自宅介護で少しだけゼリーを口にして、ニコッと笑い名前を呼んでくれた姿が焼き付いて離れません。記憶も行ったり来たり、友人の顔も忘れ、自分がどこにいるのかもわからない様子でしたが、家族のことだけは最期まで認識してくれました。そんな姿が残っているために最後の最後は真夜中に病院で、一人きりで息を引き取ったことを思うと、どんなに悲しかったのかと考えにふけってしまいます。
こういった思いはきっと生涯消えないのでしょうが、父は私や家族の見る景色をきっと見ているだろうと考え、父との時間に感謝をし、ご縁を大切にしていきます。
寄り添うようなあたたかなお言葉、きっと何度も読み返させていただきます。
ありがとうございます。
>Kousyo Kuuyo Azuma様
ご回答、父の冥福をお祈りくださりありがとうございます。
色々と振り返ってみて、よくやったと周りの方は声をかけてくださいますが、自分の中でもどこまでも後悔は広がります。
残された母を守らなければと、こういった後悔があることは母にも父のお仏壇の前でも話したことがなく、「ちゃんとやるからね、大丈夫だから安心していてください」とお仏壇の父に向かって話していたのですが、初盆には素直な気持ちも言葉にしてみようと思います。
父が亡くなり、僧侶様からたくさんのお話をいただきました。
恥ずかしながら、これまで家の宗派を気にしたこともなく、お経の意味すらも知らなかったのですが、父の死をきっかけに少しづつ調べるようになりました。
お仏壇やお墓そのものの意味、ひとつひとつの作法の意味を知り、心を落ち着かせることができるようになってきました。
亡くなった方のためだけではなく、残される人のためにもこういったことは存在するのだと、大切な人が亡くなって初めて気づかされたこともたくさんあります。
父が心穏やかでいられるよう、何も心配させないよう、そう言い聞かせて頑張ってきたのですが少し疲れていたのでしょうか。お言葉をいただいて、肩の力が抜けたような気がします。
いただいた言葉を大切にして参ります。
ありがとうございます。