好きなことについて
こんにちは。つぶやきと同じ内容ですがもう少し詳しく話すためにここに書きます。
私は昔から歌が好きで今は歌のレッスンに通っています。
ただ、最近は本当に歌が好きなのかわからなくなってしまいました。
理由は成長できた実感が湧かなくなったからです。
数年歌を習って来ましたが少しでも上手くなったと思える感覚がなく、センスが無いのではと思ってしまいます。
自分なりに努力はして来たつもりです。
ですが自分の声を録音して聴いても成長したとは思えません。
その結果、自主練で涙が出て歌えない事が増えてきました。
やめた方が良いのではと考えましたが親がお金を払ってレッスンに参加させてくれたのと、
やめてもほかに熱中、没頭出来るものがなくやめたところで自分に何が残るのかと思ってしまい、どうすればいいのかわかりません。
もうすぐ進路も決めなければならず焦っています。
一時の気の迷いなのかのかも知れません。
自分はこのまま歌を続けるべきでしょうか?それともやめるべきでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
好きこそものの上手なれ
こんばんは。
好きだと思っていた事が、本当に好きなのかどうなのかわからなくなってしまったのですね。
好きな事というのは、やっていて楽しい事だと思いますよ。
誰かに命令されてやる事でもないし、上達しなくてもほめられなくても続けたい気持ちになるような事だと思います。
センスがあっても好きじゃなければ続けられないし上達しないと思いますし、センスがなくても好きならば続けたくなるし続けていれば上達もすると思います。好きというのはそういう事だと思います。
もう続けたくないのなら、親に気を使って無理に続ける事もないでしょう。やめてもあなたには今まで頑張ってきた事実は残ります。基礎はちゃんとしているのですから将来ふと歌いたくなった時に、すぐに今のあなたレベルとはいかなくても、きっと勘がもどり歌えるようになる事でしょう。
何かに没頭熱中できている人というのは少ないものです。ないことに後ろめたさを感じることなく今からゆっくり探してみても良いと思いますよ。
進路として歌の方面を考えているのでしょうか?もしそうでしたら、レッスンの先生や学校の先生などに相談したり意見を聞いたりすると良いと思いますよ。
題の「好きこそものの上手なれ」とは「誰でも好きな事には熱心になるし、工夫を凝らすので上達が早い」という意味のことわざです。 芸事は無理して嫌々やっても成長はないの意。 (「好きならば必ず上手に違いない」という解釈は誤り)
続けなさいともやめなさいとも言えません
あなたの歌を聞いたわけではないので、続けた方がいいかどうかはわかりませんが、歌って上手い下手もあるのでしょうが、「あじとか心、訴えかけるなにか」みたいなものが大切なんでしょうね。
我々僧侶の法話もそうですが、話がうまいとか下手とかあるのでしょうが、話し手がどんな思いをもって話しているかが重要なんだと感じます。
僧侶としてどこに導きたいのかがはっきりしている人か、その場で「いいお話ね」で終わるのか。
歌も同じではないでしょうか。あなた自身が伝えたい思い、メッセージみたいなもの、熱い思いみたいなものがあれば趣味でも何でも歌っていれば良いことがあるのではないでしょうか。
質問者からのお礼
ありがとうございます。今コメントを読みました。
これからのことや出来ないことに気を取られすぎて一番大切なことを忘れていたかもしれません。
まだ悩みや辛いことはたくさんありますがもう少し続けてみようと思います。