何をしても埋められない寂しさ
タイトル通りです。
私には根本的な寂しさがあります。
結婚して辛いことも沢山ありましたが今は乗り越えて夫婦仲も良いし子どもたちも可愛い、仕事も楽しいしお金にも困ってません。
五年ほど前に夫婦のことでとても辛いことがあってそれから三年間ずっと死にたいと思いながら過ごしてましたが楽に生きること、自分の好きなことをやることにフォーカスして過ごしていたらここ二年前くらいから死にたい気持ちはなくなりました。
今は妻として母親としての役割もこなしながら外でも遊んでるし好きなように生きてます。
私は中2で叔母に引き取られるまで、ずっと実家で母親に虐待されて愛されなかった過去があります。
叔母に引き取られるまで子供時代はずっと辛いものでした。
(叔母にはとても可愛がられて中2から24歳までずっと楽しかったです、今の主人と結婚するときに叔母が主人との結婚を猛反対したのに結婚したことで縁を切られてしましましたが)
私は依存しやすい性格です。叔母や、主人や付き合ったボーイフレンドなどに。
今、自分が愛されてることは分かるのですが私の理解者はいません。
以前、私のことを理解してくれようと自分の前ではありのままでいていい、無理しなくていいといってくれた方に出会ったことはあるのですが、私がその人にどうしても興味をもつことができなくて今は付き合いはありません。
最近、自分の根本的な寂しさ、もうずーっとあるこの寂しさどうしたら埋められるのか?と考えます。
母親に20代前半の頃、全部ぶちまけたこともあるのですが、
「私に母親を求めないで、なんか趣味でも見つけなさいよ」と言われました。
母親のことはずっと許せない気持ちでいましたが、今はもう昔のことを思い出しても涙や怒りが出てくることはないし、思い出しても全然平気な自分でいます。
寂しさを好きなことしてごまかしてます、紛らわすことはできても根本的なものはなくならないんです。
他人を見て子供への愛情だけで埋められる人ってすごいなって思います。
うちの主人もそうなんですけどね。
この何をしても埋めることができない根本的な寂しさ、どうしたらなくなりますか??
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分ばかりが期待するような生き方から、自分で手にする生き方を
育ってきた環境も影響をしているのかなとは、思います。
ただ、今までのお話を聞いていて、「求める」ということが多いなと思います。求めることが、いけないわけではありません。でも、相手にばかり依存していくと、相手はしんどくなりますから、結果的に離れていってしまう。または、適度な距離から近づかなくなります。
やはり、自分でも探求していく。それは、生きるテーマだと思いますよ。
私は、子どもへの愛情だけで埋めていません。子どもなんて、いつか自立して巣立っていきますから。子どもが全てという生き方では、何も残りません。もちろん、夫にも求めていません。求めるばかりでは、返ってこないときに、怒りや虚しさが生まれるでしょ。自分ばかりが期待するような生き方から、自分で手にする生き方をしなきゃ、刺激も満足も得られませんものね。そして、留まらず、与えていく先にも幸せがあるのですよ。
寂しさは大切なもの
ご質問ありがとうございます。
寂しさというものは種類や大きさが違えど誰もが持っているものだと思います。あなたも夫さんも叔母さんも母さんもお子さんも。
寂しさというものは心の中の穴でもなければゴミでもなく、むしろ心の中の宝石の一つではないかと私は思います。
人は寂しさがあるから他人に優しくできるし、他人と一緒に居たいと思うし、他人と理解し合いたいと思うのではないでしょうか。
ですから、その寂しさを埋めたり捨てたりするのではなく、宝石のように大切に心の中に置いておく方がより良い人生を送れるのではないかと思いますよ。
寂しさを感じることができる自分に自信を持ってくださいね。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
また何かありましたらお願いします。