自分を大切にするとは
こんにちわ。
突然ですが、私はよく周りの人達から『もっと自分を大切にしなよ』と言われます。
漠然的な言い方ですが、それがどういうことなのかよく分かりません。
私は運がいいですし、周りの人達にも恵まれています。
細かいドラマチックなことはありますが、大体のことは有言実行で10代の頃の私に胸を張って言えるなりたい自分になれています。
今までの私の生活は全て運の良さと周りの人達の理解と協力のおかげで成り立っています。
私の周りの人達は皆幸せになって欲しいです。それを見ていると私も幸せですし、私ももっと頑張ろうと思えます(人によっては偽善という人もいるかもしれませんけど、言いたければ言えばいいです。)
『頑張り過ぎるところがあるから無理しないで』ともよく言われますが、どこまでが『普通』でどこからが『無理』なのかもよくわかりません。
寧ろ、頑張りきれてないからこうなってるのに…と思います。
最後に自分が壊れて初めて無理だったのかなあ…と思います。
『優しすぎる』ともよく言われます。
怒るのが苦手なのは自分でも自覚があります。
うまく言えませんが、例えば腹の立つ人間の人間性全体のうちのひとつのポイントだけが私と合わないだけで、その人のいいところも知っているし、その人にもたくさん助けられたし、その人自体を嫌いな訳ではないので、まあいいかと思ってそのときは流してしまいます。
そして最終的にこれはもう無理だと思って爆発してしまいます。
でもまた時間が経つと怒らずに、もっと早くに話し合えばよかったと思います。
私は周りの人達に甘えまくっています。
自分を甘やかすのと、大切にするのとはどのように違うのですか?
なんだか文章にまとまりがなくて申し訳ありません。
ケンカ別れをすることが多いです。 気持ちを隠してしまい、真剣な話ができないからだと思います。 そのことを当分引きずってしまいます…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分を失くすぐらいに「頑張りすぎ」「優しすぎ」なのでは
こんにちは。
ご自身で「文章にまとまりがなくて」と言っている如く、漠然とした問であることは否めません。ただ、「よく周りの人達から」「言われる」ということが、前回の質問と関連性のある問いと仮に考えて、あなたの問題意識に応える端緒を探ってみたいと思います。
前回、あなたは「殺したい相手」という題の質問で「家族経営」の「社長」と「社長の娘が本当に嫌な人間で」、この二人が「退職」のきっかけになった。そして、「悔しくて、何か仕返しがしたくて、あいつの名前を呼んで職場の真ん中で焼身自殺しようかと本気で思ってしまっている」という趣旨の質問でした。
今回の質問で、次のようにあなたは書いています。
「例えば腹の立つ人間」がいても、「その人のいいところ」、「たくさん助けられた」、「その人自体を嫌いな訳ではないので、まあいいかと思って」流すことができる。「人間性全体のうちのひとつのポイントだけが私と合わないだけ」とも思える。一見、達観しているように見える。
しかし、「最終的にこれはもう無理だと思って爆発」する。
そして、「時間が経つと怒らずに、もっと早くに話し合えばよかったと」後悔する。
これは、つまり流せているようで流せていない、ということでしょう。
それは、「優しすぎる」というより、変に物分りが良いという表現が適切なのではないでしょうか。少なくとも相手から見れば、踏み込みやすい相手と見られている可能性はないでしょうか。相手の一方的な言い分をあまりにも引き受けすぎるから、「もっと自分を大切にしなよ」と言われるのでは。
あなたは、「怒るのが苦手なのは自分でも自覚が」あるようですね。
あなたは、怒れるのに怒らないのですか。
それとも、相手に遠慮してそもそも怒れないのですか。
両者は似ているようで違います。
それが、「優しすぎる」ということなのでは。
「頑張り過ぎるところがあるから無理しないで」も同様です。
相手に合わせて「頑張りすぎ」なのでは。
自分をなくしてしまうぐらいに。だから、「最終的にこれはもう無理だと思って爆発」するのでは。
あなたは自覚がなくても、身近な周囲から「よく言われる」ということは、相応の客観的状況が見て取れるのだと推測します。
だから、少しづつ自分を前に押し出し、然るべき一線を引き、違うと思ったらその都度「早くに話し合えば」いいのです(字数制限)