何もかも無意味に思えてきてしまいました。
自分の夢のためにずっと頑張ってきたのですが、その夢も叶えられてはいるものの、クライアントの意見ばっかり聞いているような気がして、自分じゃなくてもいいのでは?と思ってしまって悲しい気持ちでいます。
もっとやりたい事があったような気がするのですが、自分勝手な創作をしてしまうのも違う気がするし、やっぱり、喜んでもらいたい気持ちはあるのです。
他人のためじゃなくて自分のために時間を割こうと思っても、他人に求められていない自分のために生きるのも無意味な気がして、結局何がやりたいんだか、そもそも、やりたいことなんてあったのかな、なんて、疲れているんですかね。
休んでみようと思って時間を作りましたが、何もしないのも不安で、前に進めず今に至ります。
何のために頑張っているのかわからなくなってきました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「創作」を「クライント」との共同作品にする
こんにちは。
一読したところで、私はあなたが「クライアント」にきちんと「創作」の意義、意味を説明できないことが問題ではないかと考えました。
「クライアントの意見ばっかり聞いているような気がして、自分じゃなくてもいいのでは」ということは、「クライアント」に引きづられている、ということでしょう。結局自分の当初の「創作」が影も形もなくなってしまうことに、不本意な思いを抱いているのではないでしょうか。
それは、あなたと「クライアント」の共同作品と言うより、「クライアント」の意向をただあなたが技術的に反映したということになってしまっているのではないでしょうか。
だから、「クライアントの意見ばっかり聞いているような」「創作」ではなく、あなたの意見をきちんと言葉と理屈で冷静に説明する必要があります。ここを失ってはこの「創作」の全体のイメージを損なうので譲れません、ここは比較的自由度が有るから「クライアント」さんの意見を採り入れましょう、というように。
あなたが、「創作」の本質がどこに有るかを明確に把握すること。
その把握をきちんと言葉にして説明できること。
この2つが不可欠です。
現在これができていないから、お客さんと請負業者という一方的な関係になっていないでしょうか。お金を払うほうが強い、という関係です。
共同作品たる「創作」を作るために、できることがまだまだありませんか。
あなたの「創作」の内容、仕事内容ともに全くわからない上での回答ですが、ご参考になれば。