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有り難し有り難し 2

いつも有難うございます。
夫は闘病中で 寄り添った結果
抗不安薬を服用するようになりました。ハスノハでご住職さま達に ご提案して戴いたように 自分を休めたり
専門家に相談したり
友達と会う約束をしたり自分の心が喜ぶ事をする様にしています。
ですが、最近実母が高熱を伴う風邪をひいたり 色々なしんどい事が重なり 煮詰まる一方です。前にも書きましたが、兄弟姉妹は協力せず、実母は回復した途端 私が介護した事を忘れた…と言います。私が姉妹に せめて私が介護した事くらい伝えてね…と言ったから 忘れたふりをします。本当に腹ただしいです。夫は病気の事を深刻に考えないでほしい…と勝手な事を言います。一緒に病院に行き、検査結果を聞き 送り迎えなど 物理的な事、しんどい事はさせ、おおらかに接しろなんて都合良すぎると言いました。
つい最近、仕事を引退して時間が増えたのに 慌ただしい生活でした。
何十年も仕事をしたので もう仕事はいいです。そんなこんなで 家事はしますが 何も用事がない時は、ずっとスマホ、テレビと 元気のない高齢者の様な有様です。こんな廃人みたいな
生活をしていていいのでしょうか。
遊びも仕事もしたくない…
最近病院の付き添いも少なくなり
母親も回復したので ゴロゴロしています。でも心は泡立っており
人生の長さが嫌になります。
又幸せというか 何もない有り難い日常生活がもどってくるのでしょうか?

2025年12月6日 18:01
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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一生懸命ではなく一所懸命、ヒトトコロをその都度生きる。

心を軽くする方法をお話します。
それはただしい道理に目覚めることです。
仏教ではそれを正伝の仏法といいます。
正伝の仏法に目覚めること。
正しい物事の道理。
正しい自分自身の仕組みに目覚めることこそが仏教なのです。
正しい道理に目覚めた人をブッダ、覚者というからです。
ですから、自分自身についても、この世の中の道理に関しても、正しい道理に目覚めることをが人間世界の唯一の救いと言えます。
そうでないと「自分がこう思った」ということを正しいと思い込んでしまう。
それは単なる考え方。主義思想。思い込みの世界。

ところが、現実、真実の世界とはどうでしょうか。
人間はひとところしか生きていない。
ひとところ。一つのところ。
世界広しといえども、自分が存在出来る処なんて自分の足、身体のあるところだけです。
いくら靴マニア、シューズのコレクターでも履ける靴は右左それぞれの足に一足ずつだけ。ムカデジャアルマイシ。

人間はいつでも、今しか生きていない。過去はない。未来もない。無いとはどういうことか。
今以外にないということ。
なぜか。

過去は過ぎ去ったと書く。
未来はいまだ来たらずと書く。
人が生きているのは今だけ。
どれほど機能が忙しかろうが、今はこうしてこの文字を見ている。見る時間がある。あの忙しい時間はもう終わっているのです。
それを一所懸命という。
人間はいま、ここ、そこしか生きていないということ。
人はスマホのカメラが一秒前、一秒後を映せないように、眼はいつも眼の前のことを映している。
耳もさっき聞いた嫌な言葉を残していない。
鼻もさっき吐いた息は今いずこ。
身体もさっきまでは忙しかったとしても、今は今いるところにいる。
それが一所懸命ということ。
努力するのでもなく、最初から人間は今、居る処、そこ、ここ、この場所、その事しかこの身に現れていないということです。
明日職場に行かなくちゃ、ということがあったとしても、今はご自宅にいる、そこに居る。
だから、あなたは色々やらなくちゃいけないとか思わなくていいのです。
いつでもの今、どこでものそこを生きればいいだけ。
人生の長さなどどこにあるというのでしょうか?
今そこを生きていない。一所懸命になって生きていないから、先の事、過去のことが問題になるのかもしれません。
一所懸命。ひとところを懸命に生きてみましょう。

合掌

2025年12月6日 21:31
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質問者からのお礼

丹下覚元ご住職さま
お返事有難うございます。
一所懸命の仏教的な考えを、分かりやすく教えて下さり有難うございました。過去や未来に囚われず
今を生きる事。今の私は今この瞬間しか生きていない、存在しない…
この考えをベースに過ごしたい…と
願います。
正伝の仏法に目覚めること。
正しい物事の道理を知ること。
静かな夜、お寺の境内に身を置けば
スッと心に入ると思うのですが
私自身が愚か者なので 自分の思い込みに囚われているのだと思いました。
有難うございました。

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