何もする気が起こりません回答受付中
いつも有難うございます。
夫は闘病中で 寄り添った結果
抗不安薬を服用するようになりました。ハスノハでご住職さま達に ご提案して戴いたように 自分を休めたり
専門家に相談したり
友達と会う約束をしたり自分の心が喜ぶ事をする様にしています。
ですが、最近実母が高熱を伴う風邪をひいたり 色々なしんどい事が重なり 煮詰まる一方です。前にも書きましたが、兄弟姉妹は協力せず、実母は回復した途端 私が介護した事を忘れた…と言います。私が姉妹に せめて私が介護した事くらい伝えてね…と言ったから 忘れたふりをします。本当に腹ただしいです。夫は病気の事を深刻に考えないでほしい…と勝手な事を言います。一緒に病院に行き、検査結果を聞き 送り迎えなど 物理的な事、しんどい事はさせ、おおらかに接しろなんて都合良すぎると言いました。
つい最近、仕事を引退して時間が増えたのに 慌ただしい生活でした。
何十年も仕事をしたので もう仕事はいいです。そんなこんなで 家事はしますが 何も用事がない時は、ずっとスマホ、テレビと 元気のない高齢者の様な有様です。こんな廃人みたいな
生活をしていていいのでしょうか。
遊びも仕事もしたくない…
最近病院の付き添いも少なくなり
母親も回復したので ゴロゴロしています。でも心は泡立っており
人生の長さが嫌になります。
又幸せというか 何もない有り難い日常生活がもどってくるのでしょうか?
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一生懸命ではなく一所懸命、ヒトトコロをその都度生きる。
心を軽くする方法をお話します。
それはただしい道理に目覚めることです。
仏教ではそれを正伝の仏法といいます。
正伝の仏法に目覚めること。
正しい物事の道理。
正しい自分自身の仕組みに目覚めることこそが仏教なのです。
正しい道理に目覚めた人をブッダ、覚者というからです。
ですから、自分自身についても、この世の中の道理に関しても、正しい道理に目覚めることをが人間世界の唯一の救いと言えます。
そうでないと「自分がこう思った」ということを正しいと思い込んでしまう。
それは単なる考え方。主義思想。思い込みの世界。
ところが、現実、真実の世界とはどうでしょうか。
人間はひとところしか生きていない。
ひとところ。一つのところ。
世界広しといえども、自分が存在出来る処なんて自分の足、身体のあるところだけです。
いくら靴マニア、シューズのコレクターでも履ける靴は右左それぞれの足に一足ずつだけ。ムカデジャアルマイシ。
人間はいつでも、今しか生きていない。過去はない。未来もない。無いとはどういうことか。
今以外にないということ。
なぜか。
過去は過ぎ去ったと書く。
未来はいまだ来たらずと書く。
人が生きているのは今だけ。
どれほど機能が忙しかろうが、今はこうしてこの文字を見ている。見る時間がある。あの忙しい時間はもう終わっているのです。
それを一所懸命という。
人間はいま、ここ、そこしか生きていないということ。
人はスマホのカメラが一秒前、一秒後を映せないように、眼はいつも眼の前のことを映している。
耳もさっき聞いた嫌な言葉を残していない。
鼻もさっき吐いた息は今いずこ。
身体もさっきまでは忙しかったとしても、今は今いるところにいる。
それが一所懸命ということ。
努力するのでもなく、最初から人間は今、居る処、そこ、ここ、この場所、その事しかこの身に現れていないということです。
明日職場に行かなくちゃ、ということがあったとしても、今はご自宅にいる、そこに居る。
だから、あなたは色々やらなくちゃいけないとか思わなくていいのです。
いつでもの今、どこでものそこを生きればいいだけ。
人生の長さなどどこにあるというのでしょうか?
今そこを生きていない。一所懸命になって生きていないから、先の事、過去のことが問題になるのかもしれません。
一所懸命。ひとところを懸命に生きてみましょう。
合掌
質問者からのお礼
丹下覚元ご住職さま
お返事有難うございます。
一所懸命の仏教的な考えを、分かりやすく教えて下さり有難うございました。過去や未来に囚われず
今を生きる事。今の私は今この瞬間しか生きていない、存在しない…
この考えをベースに過ごしたい…と
願います。
正伝の仏法に目覚めること。
正しい物事の道理を知ること。
静かな夜、お寺の境内に身を置けば
スッと心に入ると思うのですが
私自身が愚か者なので 自分の思い込みに囚われているのだと思いました。
有難うございました。



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