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孤独感や寂しさを感じる

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有り難し有り難し 26

30後半独身女です。仕事も順調だった20代後半に途中身体障害を体においそこから再起しました。自分のかねてからの夢であった仕事を叶えいよいよ人生の順調な波がきたのだと思っていました。
そんな折、障害を抱えた身、ひとりでいきていく覚悟をしていた中、ひと   りの男性と出会い、出ていた結婚の話を信じていたころ、その男性は態度を急変させ私の元から去って行きました。同時期に、仕事で障害による配慮を理解されないことで、数名の上司から怒りや暴言をぶつけられるなど、パワハラに遭い続け、心の健康を保てなくなり悔しかったけど打ちかてないまま休職にはいりました。
20代後半から色んな事がありましたが、前向きに生きていこうと決め自分なりに努力をしてきたつもりでしたが、度重なる人生の試練に少し疲れた自分がいます。
いまは、もう1度、仕事復帰をし、せっかく叶った夢である仕事で生きていきたいとまで思えるようになり、復職に向け日々心身の健康回復維持につとめています。
しかし、時々、本来なら働いているであろう時間など、ぽつんと心に穴があいたようになります。特に週末や祝日など、孤独感や寂しい気持ちがおそいます。これまでストレス解消であったフィットネスを休会している等、コロナの影響も多少はあると思います。まわりは家庭持ちの友人ばかりで、同じように一生懸命生きてきたはずなのに何が自分とは違うんだろう、とか、比較してもしょうもないことはわかっているのに考えてしまい悲しくなります。自分を見失いそうになるときの心の持ち方など助言いただけたらと思い相談させていただきました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「自分」を意識しすぎない。人生は簡単。

プライドの煩悩はストレスの原因になります。
「自分は」「自分が」「自分に比べて他人は」と、自分の価値について考えても、それで自分の価値は上がりません。
心が「自分は」という妄想雑念から離れて、今・ここの現実に集中しているとき、心は身軽で晴れやかに快適になれます。
たとえば、食べるときは食べることに集中する、勉強するときは勉強に集中するなど。
「自分は自分は」と気にしている時間がもったいない。
その時間に歌の一つでも憶えたら、楽しいし、しかも実は自分が成長しているのです。
目の前の現実、筋肉の曲げ伸ばしや意識の動きをゲームのように楽しみましょう。
心は瞬間ごとに新しいのです。
過去や未来について悩むより、今できることをできる範囲でやれば良いだけだと思えたら、人生は常にたった1秒を生きることだからチョロいもんです。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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別の生き方があったわけではない

人生には「もし」や「本来なら」というものはありません。常に一つ。イマココ。
それ以外は想像でしかないのです。
脳を使った作り事。考え方や思いというものは、苦を生み出します。とくにネガティブな時にはいくらでも苦しみを生産します。現実と錯覚させて、自分で自分の首を締め続けるほどに苦しくできてしまうのが脳の働き。
しかし、現実はそうではない。今、目の前の事実のみ。苦しみは一切ない。脳の思考を通す前。どんな嫌味を言われても、耳は音として全てを受け入れ、損得好き嫌いを言わず、それでいて音を残すこともない。その場っきりで終わり。
脳で考える前の状況、事実が今あなたの目の前にある。それだけの人生なんです。過去の記憶や、未来の不安、「もし」の世界は幻のようなもの。

徹底的に今しかないのですから、そこに生きるのです。そして、物事との出会い頭、事実に生きるのです。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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