確かめようがない事
もう20年以上前の事なんですが、当時私はアルバイトでレトルトカレーを1つづつ箱に詰める仕事をしていました。
カレーを段ボールから出すときにカッターで箱を開けるのですが、その時にカレーまで切れる事があるから気をつけてと言われていました。当時いい加減だった私は、大丈夫でしょ。と思ってしまいあまり気にせずやっていました。後から切れたのがあったと言われました。その時は謝り、何も考えずにいましたが、この前、その事を何故か急に思い出しました。
注意されてからは、ちゃんとやりましたが、その前に私がやった物全部調べたかもわかりません。例えば切り口が凄く小さくて気づかれずに販売されてしまって、それを食べて食中毒で亡くなった人が居たら?とか、亡くなるまではいかなくてもそれがトラウマになって、カレーが食べられなくなったとか。一応、レトルトカレー死亡事故とかで、検索してみましたが、それはなかったです。それでも、原因不明で亡くなってたら?とか、腐ってたら普通は気がつくでしょうけど、味がわからないお年寄りとかだったら?とか考えてしまいます。
考えすぎでしょうか?
普通は気にする様な事ではないですか?
40歳前後から、更年期なのか、小さな事が気になる様になりました。
以前がいい加減だったので、良く言えば大人になったと思うのですが、あまりにも、前の性格と違い過ぎる気がします。
大人になってから性格が変わる事ってあるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
過去のミスを自分の反省材料をする気持ち、大事にしましょう
機械で製造する食品や商品だって、一定の割合でエラーが生じます。ましてや人間のやる作業となれば、必ずミスが生じます。当然、個人個人の注意が必要ですし、ミスをチェックしミスを減らすための工程管理も必要です。また、エラーの有る商品が店に出回った場合、店やメーカーが苦情処理の対応をします。
まあ、こんなことは言われなくてもわかっていると思います。仮にバイト中のカマンベールチーズさんの作業にミスがあったとしても、同僚たちがチェックし商品として店頭に出るのを防いだりしていたと思います。仮に店頭に出ても、苦情対応する方が適切に対応するよう努めていたと思います。
ミスがあったとしても、大きな事故や苦情が起きていないなら、チェック体制や同僚等の対応によってカバーしてもらえたということだと思います。ですから、過去のミスを後悔し反省する気持ちは大事ですが、必要以上に気に病むことは無いと思います。性格が変わったというよりも、過去を反省する心(懺悔)が表面に出てきたと理解されたら良いと思います。
過去のことが気になるは決して悪いことではありません。むしろ良いことだと思います。「過去の自分の行いを振り帰り、反省し、過ちを繰り返さないことを誓う
こと」を仏教では懺悔(さんげ)と言います。20年前のことを思い出すのは、カマンベールチーズさんの心の中に深く刻まれているからであり、ご自身の心の中で「過ちを深く反省し」「同じ過ちを来る返してはならないと自戒し」ているからです。
「朝の合掌に、今日一日をい来る誓いを。夕べの合掌に今日一日の反省を」という伝道標語をみたことがあります。家の仏壇に手を合わせ、仏壇の仏様にそしてご先祖様に誓いの言葉(南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧)を唱え、反省の言葉(懺悔文)を唱えましょう。
懺悔文については、以前ブログに書いたことがありますので、ご参照下さい。
『三毒を乗り越えるために』https://ameblo.jp/dorinji/entry-12510254557.html
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
必要以上に気に病む事はないと言って下さり、少し落ち着いた気がします。
ありがとうございました。