受験における自信と驕り昂りの違い
お久しぶりです。私は現在看護師になることを目指し必死に勉強している男です。
現在3年目で1年目は独学で全て不合格、2年目は予備校に通い必死に勉強した結果1校から補欠合格を頂くも繰り上げ合格は無く、その後の2次募集では不合格で1年目と同じく全て不合格。3年目の現在は予備校を変えて2年目以上に勉強していると自分では考えています。
そして、私は何時も「今年こそ絶対合格する、他の受験生の誰よりも勉強している、自分を不合格にした看護学校は損している、現在看護師として働いている人や看護学生、他の看護師志望者よりも自分は負けない気持ちがある」と考え、それを口に出しています。私はこれを自信だと考えていますが親からは謙虚に考えなさいと言われます。看護学校は男子の採用枠が10名ほどと狭き門であり尚且つ現役の男子、大学や短大を出ている学生や社会人、そしてメインの女子と戦わなければなりません。だからこそ3年も勉強している自分こそが看護学校に入学するべき男子の一人であり他の受験生は男女問わず私が合格してから合格しろ、コロナで職がない、将来が安定しているから看護師になるという人間が自分を差し置いて合格するなとも考えています。自分は誰よりも努力しているがこの努力は息をするのと同じで自然としていることであり、自分が休んでいる時間があればその数分、数時間がライバルに差を付けられると考えています。
また、自分を差し置いて合格した人間が非常に憎く正直いうと殺生してやりたいと考えるほどです。その様な受験生はぽっと出の人が多く3年も勉強して合格出来ない自分が情けなく見えたり、それはおかしいだろと考えています。
この私の考えは自信、それとも驕り昂りのどちらなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ナニクソ精神で自分を越えていく。向き合うは自分。人生の指針を
いいと思いますよ〜
なんとしてでも成し遂げようとする意志、ナニクソ根性は、強いモチベーションにもなるでしょう。私もそうなので。
親の、謙虚にというのも、人それぞれの考え方なので。あなたを奮い立たせる力は、負けたくないって気持ちなのであれば、今のように闘志を燃やせばいいと思いますよ。
ただ、ライバルを憎むのは、違うかなと思います。怒りの矛先がライバルに向くのは、見当違いだものね。
向き合うのは、今までの自分。
自分を越えていく。
そして、自分の限界も認め受け入れていく。
そうしながら、人生の指針を。
質問者からのお礼
お忙しい中ご回答ありがとうございます。今日受験結果が届き不合格であることがわかりました。その後は自暴自棄の様になりなにくそ根性の気持ちはありますがやはり合格した人間を恨んでしまいます。正直2年前、1年前の自分より格段に成長していると思いますし家族や友人からも凄く頑張っていると言われますが結果が出ていないので意味がなく今以上に精神的に追い込まれており頭がおかしくなりそうです