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勘違いから小さな命を殺してしまった

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息子2人の継母で、旦那と4人家族です。(詳しくはプロフィール御一読頂けますと理解いただきやすいとおもいます)

我が家の庭で、ニワトリとカモを飼っています。鶏は全員メスですが、カモは雌雄両方いる為有精卵なので、鴨の卵を羽化させる為にニワトリに座ってもらって温めてもらっていました。これは、子供と旦那が言い出して始めたこと。

実は、数ヶ月前に一羽だけ羽化していた事があり、子供たちの親権スケジュール上子供達不在だった為、結局私が面倒をみる羽目になり面倒みたらみたで母性がわいてしまい、約一週間ばかり私も面倒みながら可愛がっていましたが、子供達が帰宅後ひなの面倒を見ていたら(私は屋内で調理中だった)息子9歳が謝って踏んでしまい、殺してしまった。

家族みんなで大変ショックな出来事で、私も悲しみから2,3日涙していましたが復活し、私はもう鴨の羽化計画に関して一切関与しませんと家族に伝えていました。

息子と旦那は、亡くしてしまったならばまた羽化させようと、再度チャレンジ・6月下旬からいくつかまた鴨の卵をニワトリの下で温めてもらっていました。(卵には温め始めた日付が記載)

私は毎日鳥たちに餌をあげるのですが、殺気だって座っている卵温め中のニワトリをみると、なぜか可哀想に思っていました。

そして最近私の頭の中で、(もうずいぶん経ってるけど何も変化がないのだから卵を排除して、卵温め中のニワトリを自由にしてあげよう!)と考えていました。

子供たちも旦那も、羽化用卵をチェックすることもこれまでありませんでしたから、もう誰も気に留めていないと思っていたのです。

そして今日、もう卵に変化見られないのだから卵はニワトリに食べてもらって、お母さんモードで座りっぱなしのニワトリを自由にしてあげようよ!と言って、子供たちに卵を排除するよう言いました。この時、旦那も子供も私の伝えたことに賛成していた。

そして子供たちが卵を割ったらアラ大変。未熟な雛が鳴いて出てきた。子供たちは大変ショックで、上の子は泣いていた。家族からはその後なぜ日付をチェックしなかったのか。そろそろ羽化予定日だったのに。と責められた。

小さな命を私のせいで殺めてしまった事、子供たちにショックな事をさせてしまった事、でも責められた事への多少の怒りと不信感があります。このモヤモヤから解放されたく、ここに辿り着きました。

2021年7月21日 15:11

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間の都合で、動物の生き死にを都合良く扱っていませんか。

残念な出来事ですね。。。
そもそも、生き物を飼うというのも、可愛がるというのも、人間のエゴ。涙もね。

人間の都合で、生き死にを都合良く扱っているのではないでしょうか。

もちろん、命を育てる.共存は、多くの学びや気づきを与えてくれます。いつか命終えることも、人間同様にやってきます。 
それでも、人間の都合で、生物の生きる縁をコントロールしては、勝手に喜び悲しみ、責めて納得する、傲慢だと思いませんか。

小さな命をそんなに大事に悲しめるのなら、自分たちの関わり方はどうだったのかを、皆さんで考える機縁となさってくださいね。

2021年7月22日 2:09
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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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質問者からのお礼

質問してから、回答いただけるまでがとっても迅速でびっくりしました。

中田さん、私の質問を読んでいただき、ご回答くださり、そのお気持ちと使っていただいたお時間に、感謝の気持でいっぱいです。ありがとうございます。

・人間の都合で、動物の生き死にを都合良く扱っている
・生き物を飼うというのも、可愛がるというのも、涙も人間のエゴ。

本当におっしゃる通りだとおもいます。

・人間の都合で、生物の生きる縁をコントロールしては、勝手に喜び悲しみ、責めて納得する、傲慢だと思いませんか。

→思います。

【質問】
・小さな命をそんなに大事に悲しめるのなら、自分たちの関わり方はどうだったのかを、皆さんで考える機縁となさってくださいね。

自分たちの「何に対して」の関わり方のことをおっしゃっているのでしょうか?読解力が足りず、ごめんなさい。

ご回答いただけると幸いです。
ありがとうございました。

「ペット・大切なものの死」問答一覧

保護した子猫 助けられなかった

他家の塀の前で大人しく動かない子猫を保護しました。 犬がいる事、責任を持てる自信がない事、日曜で動物病院は開いていない事、明日から仕事が始まる事、猫はほとんど触った事もなくパニック状態でしたが、見捨てる事はできず己のエゴで保護しました。 親猫の姿は無く、いないものと思いましたが、玄関に着くと、遠くに座ってじっとこちらを見る成猫がいました。 ここで親猫と引き離してしまったことを自覚しました。 わからないながら介抱しました。 目を見開き倒れたままだった子は、翌朝段ボールから脱走できる程になっていました。 右手が曲がっていたので、車と接触したのかもしれません。 安心した私は両親に子猫を病院に連れて行くことを任せ、普段通り出社しました。 病院でも太らせるようにしか言われず、ご飯も食べ、鳴くようになったので、元気になってくれたのだと思いました。 気が抜けた私はその日の夜、夜中に一度起きて保温の確認をしただけでその後6時間眠ってしまいました。 とても寒い夜だったのに。 朝、息があり安心しましたが、ご飯を全く食べてくれませんでした。 水分だけはと思い無理矢理飲ませると頭を振って嫌がりました。 おかしいかもと思いつつ、弱っているからべたべた触らない方がいい、大丈夫だろう、そう考え親に任せ仕事に出ました。 私が出て1時間後、様子を見た母によると、体は冷たく、温めたら多少回復の兆しが見られチュールを少し舐めたものの、その後様子が変わり息を引きとったと。 病院も間に合いませんでした。 夜中敷いていたタオルが濡れていてとても冷たくなっていました。気づけませんでした。 2日もない時間でした。 何をしても後悔が残る事は理解できます。 ただ、己のエゴで親猫と引き離し保護したのに最後まで責任ある行動ができなかった事、知識不足、油断があった事、もしも話が頭の中から消えません。 最後私を見て一度鳴いた子猫をどうして放って行けたのか。 野良猫にとって何が最善かは知りません。 だからこそ自分が保護したことで苦しみ、怖い思いをし、寂しく、凍えながら死んでいったのではないかと思い、皆励ましてくれますが仕方なかったとは思えません。 保護時の物も、これからのために買った物も何も手付かずです。 気持ちの持っていき方がわかりません。 辛いのは子猫だったのに、救われたいと思ってしまいます。

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突然のペットとの別れ

夏目漱石の小説「文鳥」を読んで興味をもち、昨年春にペットショップでメスで雛の桜文鳥を飼いだしました。 餌やりしながらスクスク成長して家族みんなは癒されっぱなし。 私にも無性の愛情で手乗りして毎日が楽しい日々で、これが当たり前なんだと思ってました。 先週、私が作業をしていてクチバシで指をつついて遊んでる文鳥を、作業の邪魔だと部屋から出しながら飛ばし、ドアをしめようとしたら、ドアの方向に飛び戻ってきて体が挟まってしまいました。その時に今まで聞いた事ない叫びをして床に落ち、見ていた妻がかけより手のひらに抱きましが、その後、数十秒で息を引き取りました。 1分前まで元気だった小さな命を奪ってしまい取り返しのつかない事をしてしまいました。娘も妻もショックで泣き崩れ、家族を悲しませた私は罪悪感と後悔で放心状態でした。 ドアに戻ってきた文鳥は私と一緒に居たくて必死に戻ってきたのに邪魔扱いして挟んでしまい、もう生きた文鳥に会えないことを考えたら涙が止まりませんでした。 次の日に火葬し、悲しんでばかりでしたが、同じように不注意で死なせてしまった方々の話をこのサイトでみて、苦しくなったり励みになったりしました。 文鳥を飼うまでは、たかが鳥って考えてましたが、実際に飼うと愛情たっぷりな仕草や行動に癒されっぱなしでした。それが当たり前になってて、つい邪魔だと部屋から出そうとしてやってしまった雑な行動は命を落とすリスクが高いわけで、飼い主としてやってはいけない行為であり、殺意ありと思われても仕方がありませんし、後悔しかありません。 自分のしてしまった罪に対してこれからどう生きていくべきかご教授ください。 1年5か月の生涯。もっと生きて楽しんで欲しかったと罪悪感だらけです。 ただ、死を無駄にしないよう思い出と共に忘れないで、動物にも人間にも今以上に優しく接していきたいと今回の出来事で強く感じてはいます。

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最愛のペットを殺めてしまいました。

昨日最愛のペットを私の不注意で殺めてしまいました。 その子はハムスターで「おはぎ」ちゃんといいます。 私の人生で初めてのペットで、妻が一目惚れをしてお迎えしたある意味特別な子でした。年は1.6年と人間でいう60〜70歳くらいです。 ※以下生々しい描写があります。ご注意ください。 その日はいつも通りおはぎちゃんがお外に出たがっていたため、お部屋を散歩させるべくケージから出してあげていました。おはぎちゃんはお利口なので目を離してても部屋をぴょこぴょこ歩いているか、飽きたら自分のケージに戻るような子でした。 少しして私と妻はコーヒーを買いにコンビニに行こうという流れになりおはぎちゃんをそのままにして家を出ようとしました。 車に向かう途中で忘れ物をしたので部屋に戻り後ろ手で部屋の引き戸を閉めようとしたら、いつもと違う感触が。 下を見るとおはぎちゃんが倒れていました。口から血を出してピクピクとしている様子。顔面蒼白で叫ぶ妻の顔。ジタバタしながらもがき苦しみ普段鳴かない子がキュゥキュゥと弱っていく様子。 ことあるごとにフラッシュバックして自責と後悔の念に駆られ胸が痛いほど締め付けられます。 その後、1時間かけて緊急の夜間病院に車を走らせましたが間に合わず息を引き取りました。 おそらく扉に挟まれた衝撃での内臓破裂だろうと獣医さんから言われました。 なんて可哀想なことをしたんだろう。 こんなことがなければ明日がまた来ていたのに。 天命を全うしていたのに。 部屋を離れるときにケージに戻していれば… 後悔してもしきれません。 こんな間違いを2度と犯さないように徹底して他のハムスターたちに愛情を注いで可愛がろうと心に誓いました。 しかし、心の切り替えというのは未熟な私にはすぐにできるわけもなく、思い出しては心が締め付けられます。 妻は私を責めずに励ましてくれます。 ただ、私は自分が許せない状態です。 どうしたらおはぎちゃんは報われるでしょうか。 おはぎちゃんのためにできることはあるのでしょうか。 殺めてしまったのは私なのに助けを求めるのはおこがましいとは思いますがお坊さんから助言や救いの言葉をいただけたらと藁にもすがる思いで質問させていただきました。

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愛猫の死との向合い方、避けた方が良い事は

身近な人、というカテゴリーですが、愛猫についてご相談させてください。 【概要】 実家で暮らしていた愛猫が早くに亡くなり、思いだけが募り、気持ちの行き先がない状態です。 良い向き合い方や、環境改善のアドバイスなどあれば頂きたいです。   【詳細と経緯】 愛猫がうっ血性心不全を患い、発覚から2ヶ月も経たず、旅立ってしまいました。 突然、お腹と胸でめいっぱい息をしながら、叫びながら息を引き取りました。 動物病院も開いておらず、母はパニックになっていて、自分がしっかりしなければと思いながらも、私も何もできませんでした。 6歳という若さであった事、闘病生活を充分に支え切れず、突然亡くなってしまったという事もあり、悲しみや後悔、大好きだという気持ちが処理しきれずにいます。 亡くなった子に大好きだと伝えたいけど、思い続けたり、悲しみすぎていると成仏できない、別の悪い霊まで引き寄せてしまうなんて話を聞いたことがあり、それだけは絶対に避けたいのです。   【相談内容】 ①亡くなった子を強く思いすぎるのも良くないのでしょうか。   ②せめてお線香をあげて、手を合わせるような時間が持てたらと思いますが、実家には猫があと5匹いて火を使う蝋燭、線香は危ないと考えています。一人暮らしの家に勝手に簡易的な仏壇のようなものを拵えてもよいものなのでしょうか?   ③名前入りのアクセサリーや石を身に着ける、愛猫の写真でクッションを作る、写真を飾る、名前を入墨として自身に彫ることを検討しています 上記の中で仏教の観点から避けた方がいいと思われる事はありますか?一個人の意見としてでも構いませんので伺いたいです。   当方の環境としましては、 ・実家にも仏壇等はなく四十九日も迎えておりません ・分骨なども致しておりません、まだお骨は手元(実家)にあります ・ご縁があり般若心経が手元にあり、道具も揃っている為写経でしたらすぐに可能です   その他向き合うにあたっての心構えや環境を見てのアドバイスなどありましたら些細な事でも構いません。是非教えていただきたいです。よろしくお願いします。

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過去に死なせてしまったペットに対して

過去に死なせてしまったペットや生き物について後悔があり相談させていただきました。 小さい頃から生き物に関心があり物心つく前からペットを飼わせてもらったり昆虫採集などしていました。 その後、自分の意思でハムスターやうさぎを飼わせてもらったのですが飼育が行き届かず、自身の怠慢で殺してしまいました。 うさぎは私が小学生〜大学生の間に飼育していましたが最後は体も弱くなり診察を受けた際に暴れた影響で亡くなってしまいました。最後の方は私の怠慢で構ってあげられず寂しい思いをしていたと思います。 飼っている間も最善の飼育ができていたとも思えず私が飼ったばかりに不幸に死なせてしまったと悔やんでいます。亡くなった翌日、火葬を行うことになったのですが、親戚との用事で私だけ参列できなかったことも悔やまれます。今は遺骨だけ自宅に置いていますが、仏壇などの習慣がなかったためお水やご飯を全くあげれていませんでした。亡くした後はうさぎにまつわるものは悲しみや自責の念で見ることができません。ずっと申し訳ない気持ちでいっぱいです。 また他にも飼っていた生き物や捕まえて殺してしまった昆虫に対しても申し訳ない、最低なことをしてしまったと考えてしまいます。 一度、巣から離れてしまった雛を見つけ助けようと思って逃げてしまい隣の家のバイクの隙間に入ってしまい助けられなかったことがあり、そのことも一生忘れられず、 纏まりのない分になってしまって大変申し訳ありません、自分の業を受け止めきれずおかしくなってしまうことがありどうしたらよいかわからなくなります。わたしがいまできることはなんでしょう。前向きに生きることさえ拒まれる人間だと感じて目の前の幸せを享受できない現状です。供養についてもおろそかにしてしまっていると思います、どうしたらよいのでしょうか

有り難し有り難し 24
回答数回答 1

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