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自分の思う生き方ができない

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有り難し有り難し 9

初めてご相談させていただきます。

これまで自分はどこか自分のしたいこととずれた生き方をしてきてしまい、自分の人生がつまらないものであったように感じます。
ずっと音楽が好きだったにもかかわらず高校の部活も、家族の目を気にし兄と同じ部活へ。大学の進路も、自分の興味ではなく安定を取るように工学へ。

就職を前にして、今度こそ自分のしたいことをと思い、エンターテイメントに関わる企業に応募してみたものの、結果は全滅。

幸運なことに複数の落選を経ながらも他に受けていたメーカーの研究職で内定をいただいているものの、また自分の意志ではなく、どこか流れ、成り行きで道が決まってしまったように感じます。

自分としてはこれまで惰性で決めてしまった流れを断ち切りたいのですが、どうしても巡りあわせもなく…

私はこのまま惰性でつまらない人生を生きていくしかないのでしょうか。

2021年7月30日 20:53

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

惰性とは何の継続か。何をどこに思い描いてゆくことの継続か。

音楽はどこで行われるのか。
それはあなたの体感。体の中。

エンターテイメントはどこで行われるのか。
それはあなたの体感。体の中。

料理、おいしい、美味、健康はどこで行われるか。
それはあなたの体感。体の中。

私も音楽をやりますが、昨日も自分の弾いたギターで自分自身が最高にミョミョミョ♪になっていました。あ、当方エレキでHRHM系のソウルフルなジミヘン・ウリ系なスカイギターですが。♡

お伝えしたいことは何か。

あなたは外に形を求めて描いている。
そうじゃないのです。
あらゆる職務もアート、芸術も、体感もそれを授受、享受、感受するのはどこよ?(*´▽`*)

あなたがあなたの上で、アナタの中で。
どこで何をするのも何をなす(為す・生す・成す)のもインプットもアウトプットもダイレクトなキャッチも受用もみーんなこの身心の上でしょうに。✨

自分の思う生き方を外に設定している時点でズレが生じるのは当然。
人間は事実を生きている。
だから、想定や設定、ビジョンは頭で描いた「アッチ」なので別物。
重宝すべき優先順位が違っているってことです。

仮にアニキと同じことをやったにせよ、それでもそれはお兄さんとは違う視点、違う人間関係、違う学び、違う呼吸。

今、やっていることも、これはあなたの人生のあなただけの絶対事実。ここが主軸。ここが根幹。ここが根本。そこが根源でしょうに。

自分が息をしているところ、体感、感受しているところ。
そこを軽視、無視、度外視してはならないのです。

そこにきちんと焦点をあわせてから、合わせたうえでこの自分の自分意識の深層が「これだ!」と感じるところをなせば、いつでも、どこだろうが、何だろうが「御前(オンマエ)ならざるものは無し」です。
いつでも、どこでも、なにごとでも、みな我がこと。一期一会。二度とない大真実。
私の横では蝉の声が響く。
安らかな呼吸が続けられている。
この当たり前のような「法の囁き」とでもいうべき自己の身心に触りを成す一切のことの来たり、ことの現れの尊さ。
それを受信できずに外に妄想で描いたビジョンを求めていくことは今後も同じ求め違いが行われることになる。
惰性を断ち切るのは、今。即。そこで。直ちに。

「あ、俺が思い描いて求めていたことは何時も“外”の事だった」と、その内なる思い描きの妄想を優先してしまう自分を解き放つ。

2021年7月31日 7:11
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将来が不安で仕方ない。 社会人の女性です。仕事も恋愛も将来が不安で仕方がありません。私は繊細な部分があり、職場で怒られたり、イラつかれたりするととても気にしてしまいます。このまま続けていけるか不安です。 また、学生時代は常に彼氏がいましたが、少し依存してしまう部分があったり、早く結婚したいと言ったりして結局うまくいきません。今の職場は出会いがほとんどありません。今のご時世、ネットやアプリなどで婚活ができるかもしれませんが危険なんじゃないかと不安ですしあまり、お金をかけたいと思わず躊躇しています。 心を安定させるために、自分は、収入が少なくても、独身でも幸せに生きていけると思っていますが、ネットを見ると独身女性は老後が不安とか、生涯孤独とか書いてあります。母親も、父親と結婚しアルバイトをして子育てをしてきました。父親の収入があったからこそ安心して生活してきたのだろうと思います。対して、私は生涯独身で仕事もうまくいかなくなったら何も無くなってしまうと心配になります。 結婚したからと言って、女性の老後は安定なのでしょうか?独身が正社員じゃないと生きるのが難しいのでしょうか? ワガママばかりかもしれませんが、何かアドバイスお願いいたします。

有り難し有り難し 19
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「自分軸」で以て生きたいです。

いつもお世話になっております。 20代半ばの者ですが、この頃何かと精神的に不安定で、涙脆くなりました。そんな中、先日「自分軸」という言葉を知りました。 私の拝見した解説では、生き方のベースを「自分がどう在りたいか」に置くのが自分軸、対して「他人にとっての自分がどうか」に置くのが他人軸との事でした。そして、自分軸で生きる=本来の自分で生きている、すなわち自己理解ができている状態だとありました。 私は社会人5年目の今尚、親の送迎で通勤しています。主に持病の関係ですが、正直いつ治るか目処すら立っていません。現状、内服である程度のコントロールはできており、病状(主に意識朦朧・喪失です)が治まっていれば生活上で何ら支障はないに等しいです。ただ、あくまで今は寛解の状態で、加えて病状がいつ起こるか自分では予期できない点が厄介です。 そんな私は現在「そろそろ一人で通勤したい」という思いが強いです。より正確には、「周りへの負担を少しでも軽くしたい」、「周りへの依存状態から抜け出したい」という思いで、その具体的な第一歩として、まずは通勤ができるようになりたいと考えています。これが上記で言う「自分がどう在りたいか」の部分だと自身では捉えています。 一方で、万一病状が出た時を想定した際、意識が不明瞭の状態で自分を守れる自信は当然ありません。となると、仮に先述の思いが実現されても、結局私は周りに負担をかけ兼ねない立場である事には変わりなく、自己責任だけで済まされるものではないと思うのも事実です。 ここで話が戻りますが、上記のような私の考えは、果たして自分軸に沿ったものと言えますか。自分軸で生きる事は、必然的に自己責任のもと生きる事だと思いますが、それとは少し矛盾があるようにも思えます。「自分がどう在りたいか」の中身に他者の存在が絡んできている時点で、そもそもこれは自分軸でなく他人軸の考え方なのでしょうか。よく分からなくなっています。 単純に、周りに甘えたり依存したりしている状況を少しずつでも変えたいだけなのですが、そこに伴うリスクに対し自分で責任を取れるかと問われると、途端に自信がありません。むしろかえって周囲を巻き込み兼ねず、それでは何の意味もないとさえ思え、自分の本心自体が混乱しつつあります。 自分軸で生きるために、私は何からどう取り組むべきかを教えて頂きたいです。

有り難し有り難し 12
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この先自分がどう生きていくか

お世話になります。 40代を目前にした中学3年生の子を持つシングルマザーです。 これまで生活のためにと懸命に仕事をし転職等も含め収入を上げてきました。しかし、4ヶ月ほど前まで勤めていた会社の上司と合わず、精神的にも追い込まれ仕事に行けなくなり、今は違う会社で働いています。収入はかなり下がってしまいましたが、身体を壊したら子供も育てられないと思い、転職しました。 全く別の業種に転職したこともあり、嫌な気持ちになったり、一緒に働く人に正直イラッとしたりしてしまい。あまりやりがいも感じていません。 子供を育てるのにもあと4年位がピークだと思い、子離れしていく中で私は何が生きがいなんだろうか。これからどうして生きていくことが良いのだろうかということばかり考えてしまいます。 なんだか毎日つまらなく感じてしまうというか、淋しさなのか、どうして満足できないのかがここ2年ほど考えていますがわかりません。 ボランティア活動を少しやってみたり、新たな趣味に挑戦したりしますが、面倒になったり、疲れてしまったりで、続きません。 こんな風にもやもやすることがなく、毎日はつらつとして生きることが理想だと思っているのですが、私の考え方が何かおかしいのでしょうか? 勿論、自分がすごい人間なのだとは全く思ってません。ただ、なんだかのこのモヤモヤから晴れたいとずっと考えていますので、おすすめの思考法や、アドバイスなどいただけたら、本当に嬉しいですし、参考にしたいと思っています。 拙い質問で恐れ入りますが、読んでいただけましたら幸いです。

有り難し有り難し 6
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私の命の使い方

22歳、今年大学を卒業したばかりです。 学生の頃、私は大きな夢や野望をたくさん持っていました。また、それと同時に、自分の置かれている立場や住んでいる場所、全てに不満を抱えていたのです。卒業してすぐに、家族の反対を押し切り以前からずっと憧れていた街に飛び出しました。しかしそこでの暮らしは思い描いていたものとは大きく異なり、鬱のような状態になった私はすぐに実家に帰ることになりました。そして家族の有り難さにようやく気付いたその頃から、私の中の一部がまるで他の人と入れ替わってしまったような気がするのです。以前は猪突猛進でやりたいことに向かって後先考えず進むような性格だったのですが、そんな人格はどこかへ消えたかのように、家の中に引き篭る生活を何ヶ月も続けました。その間に段々、叶えたかった夢のこともどうでもよくなりました。家があること、母のご飯を食べられること、ただそれだけで幸せだと思うようになったのです。自分の目的の為なら家族や親友を犠牲にしても良い等と言っていた私が突然そんな風に変わったのですから、両親も驚いていました。 そして非正規ではありますがやっと仕事も見つかりました。それは学生時代、就活中に友人が馬鹿にしていた職種であり、当時の私自身もそんな仕事をすることは永遠にないと思っていました。けれど、この度のことで自らの愚かさや傲慢さに気付いた私は、誰もが憧れるような仕事をしたいという欲を捨て、自分でもできることをやっていこうと思い直したのです。何も出来ない、資格も無い私には元々そんな生き方がお似合いだったのかもしれません。 最近はよく「自分の人生なのに何故そんなに他人事でいられるの?」「若いのに何故もっと頑張らないの?」と言われ、色々と考えてしまい疲れます。 周りの友人は、今も目標に向かって頑張っています。しかし私はそれを見て焦るということもなく、このままでいいと思うのです。少しのお金を稼ぎ、適度に趣味も楽しんで、家族と平和に暮らしていきたいと思うだけです。とにかく今は、家族に恩返しがしたいです。それ以上のことは望みません。 私の考え方は間違っているでしょうか? 目標も夢もない人生を送るのは、せっかく与えられた命を無駄にしていることと同じなのでしょうか?

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