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自分の思う生き方ができない

回答数回答 1
有り難し有り難し 9

初めてご相談させていただきます。

これまで自分はどこか自分のしたいこととずれた生き方をしてきてしまい、自分の人生がつまらないものであったように感じます。
ずっと音楽が好きだったにもかかわらず高校の部活も、家族の目を気にし兄と同じ部活へ。大学の進路も、自分の興味ではなく安定を取るように工学へ。

就職を前にして、今度こそ自分のしたいことをと思い、エンターテイメントに関わる企業に応募してみたものの、結果は全滅。

幸運なことに複数の落選を経ながらも他に受けていたメーカーの研究職で内定をいただいているものの、また自分の意志ではなく、どこか流れ、成り行きで道が決まってしまったように感じます。

自分としてはこれまで惰性で決めてしまった流れを断ち切りたいのですが、どうしても巡りあわせもなく…

私はこのまま惰性でつまらない人生を生きていくしかないのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

惰性とは何の継続か。何をどこに思い描いてゆくことの継続か。

音楽はどこで行われるのか。
それはあなたの体感。体の中。

エンターテイメントはどこで行われるのか。
それはあなたの体感。体の中。

料理、おいしい、美味、健康はどこで行われるか。
それはあなたの体感。体の中。

私も音楽をやりますが、昨日も自分の弾いたギターで自分自身が最高にミョミョミョ♪になっていました。あ、当方エレキでHRHM系のソウルフルなジミヘン・ウリ系なスカイギターですが。♡

お伝えしたいことは何か。

あなたは外に形を求めて描いている。
そうじゃないのです。
あらゆる職務もアート、芸術も、体感もそれを授受、享受、感受するのはどこよ?(*´▽`*)

あなたがあなたの上で、アナタの中で。
どこで何をするのも何をなす(為す・生す・成す)のもインプットもアウトプットもダイレクトなキャッチも受用もみーんなこの身心の上でしょうに。✨

自分の思う生き方を外に設定している時点でズレが生じるのは当然。
人間は事実を生きている。
だから、想定や設定、ビジョンは頭で描いた「アッチ」なので別物。
重宝すべき優先順位が違っているってことです。

仮にアニキと同じことをやったにせよ、それでもそれはお兄さんとは違う視点、違う人間関係、違う学び、違う呼吸。

今、やっていることも、これはあなたの人生のあなただけの絶対事実。ここが主軸。ここが根幹。ここが根本。そこが根源でしょうに。

自分が息をしているところ、体感、感受しているところ。
そこを軽視、無視、度外視してはならないのです。

そこにきちんと焦点をあわせてから、合わせたうえでこの自分の自分意識の深層が「これだ!」と感じるところをなせば、いつでも、どこだろうが、何だろうが「御前(オンマエ)ならざるものは無し」です。
いつでも、どこでも、なにごとでも、みな我がこと。一期一会。二度とない大真実。
私の横では蝉の声が響く。
安らかな呼吸が続けられている。
この当たり前のような「法の囁き」とでもいうべき自己の身心に触りを成す一切のことの来たり、ことの現れの尊さ。
それを受信できずに外に妄想で描いたビジョンを求めていくことは今後も同じ求め違いが行われることになる。
惰性を断ち切るのは、今。即。そこで。直ちに。

「あ、俺が思い描いて求めていたことは何時も“外”の事だった」と、その内なる思い描きの妄想を優先してしまう自分を解き放つ。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

有難いお話、ありがとうございました。

誠に恥ずかしいことながら、ご挨拶がこんなにも遅れてしまいました。
悩みは未だつきませんが、いただいたお言葉、考え方、噛み締めております。

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