信じられなくなりました
夜分遅くに申し訳ございません。
私は幼なじみがいて、小学生を経て、中学で一緒になれました。
でも、当時の無邪気さは半分消えてました。
怪我した猫を見て、「これは保健所行きだな」
と言ったことがびっくりでした。
その後、私と共に里親探しに協力してくれましたが。
クラスや先生の前では笑顔の彼女が、私の前ではかなり毒舌なのです。
そこで、人がみな自分のことを信じてるのかわからない、という思考が身につきました。
そして翌年の中学二年生では友達と呼べる関係の人ができず、クラスでグループを作るときは最後まで残り、移動教室は1人。
その翌年の中学三年。私を親友と呼んでいた友達とクラスが同じになりました。
しかし、そのときもずっと私は1人で、だんだんその子の人間関係を妬むようになり、人を簡単に信じられなくなりました。
私はピアノを弾けますが、音楽の授業の前にそれを弾いてとせがまれます。
最初は楽しかったのですが、私はまるでレコード扱いされているようだと思い始め、結局それからは、せがまれても拒否しました。
その頃から家族すら信じられなくなり、「殺そうとしているのでは?」なんて半分思い始め、ありえないとわかってても怖くなり、ケータイに拘束される毎日。
今では受験も終わり、幼なじみの彼女にも以前の明るさが戻り始めました。
でも、私は学校が終わって暇な時間が増えてから恐れの時間が増え、部屋にいることがほとんど。
今年から高校に進学しますが、もう今から不安です。
どうしたらこの思考から逃れられますか?
よろしくお願いします。
長文失礼いたしました。
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もうすぐ4月。新しいスタートラインに立つ準備をしよう。
西海さん、おはようございます。
お悩み拝見しました。
まずは高校受験、お疲れ様でした。4月から高校生になられるのですね、おめでとうございます。
小学校、中学校と幼馴染やクラスメイトといろんな人との付き合い方を学びましたね。
幼馴染の言葉を信じられなかったり、友達がうまく作れなかったり、親友と呼んでもらえる友達が出来たり。どれ一つ取っても無駄なことがありませんね。端から見たら。
ちょっとだけ、大人の目線から見ると、今の西海さんの年代の皆さんは、人として日々、ハイペースで成長していく段階にあると思います。いわゆる思春期だったり、という時期にあり、年齢的にも未成年、まだお若いですから感受性も豊かな時期です、ココロもアチコチと落ち着かない、考え方もコロコロ変わることでしょう。
だから不安や人を信じられない面が出てきてしまうのは当然ではないでしょうか。
但し、お願いしたいのは、自分が信頼をおきたいと思っている人の前では素直になってください。あなたにとって大切な人、幼馴染や4月から出来るかもしれない新しい友達や親友、今までそばに居てくれた家族はきっと味方になってくれるはず。ひょっとしたら、若さゆえに、両親や兄弟のことが余計なお節介に感じてしまうかもしれないけれども、それはそれとして、人は生きていく上の、どこかで自分に素直になれないと生きづらくてしょうがないのです。ダメな自分も調子のイイ自分もさらけだせる場所があると、日々の悩みや辛いことも、自分の中に溜め込まず、吐き出せてスッキリしますよ。
4月からは新しいクラスメイトとの出会いが無条件にやってきます。今まで出会わなかったようなタイプのクラスメイトに出会うかもしれません、良い人も嫌な人も、両方いるでしょう。
高校生活を共に学び、遊び、励ましあう、善きお友達がきっとできるようにhasunohaよりお祈りいたします。是非、悪いイメージではなく、良いイメージを持って4月をお迎えください。合掌
質問者からのお礼
初めまして、野村さん。
ご丁寧にお答え下さり、ありがとうございます。
今が大事な時期なのですね。
素直になれるように頑張ってみます。
前向きに考えて、新生活を迎えます。
言葉で並べるよりまずは実践ですね。
本当にありがとうございました!