家族に会いたい気持ち
親友の支えもあり最近は少しだけ前向きに生活できるようになってきました。親友からの誘いで釣りを覚え始めて、今度以前の職場の信頼できる友人も誘って3人で海釣りへ行こうと誘ってくれ、まだやったことのない経験や新しい出会いを与えてくれる機会を作ってくれる友人に本当に感謝しています。これからある出会いは私にとって大きな出会いであり、信頼できる友人となることで、幸せなのかもしれない、そう思うこともあります。また仕事先やアルバイト先でも少し勇気を出して話し掛けて友人を作ろうと努力しています。気軽に話しができる相手ができたりと少しだけ変化も出てきました。
仕事もアルバイトも心配していたよりもずっとうまくいっています。独りでいる時間は寂しいので、がむしゃらに働いて気を紛らわす生活を続けています。仕事もアルバイトもうまくいきすぎてしまうことで、もう1度やり直してもらえるんじゃないか、そう勘違いや期待や希望を見てしまうことが多々あります。でも期待や希望を見すぎてしまうことが自分には絶望することよりも怖く、諦めていくことが今の自分には必要なことなのだと理解もしています。ですがなかなか諦めもつかず長い1日1日時間が過ぎていくのを待っています。今でも元嫁に、子供達を守ってくれてありがとう、体の調子はどうか、無理はしないよう手紙を書き続けていますが返答は全くありません。いっそのこと手紙なんて送らないで下さい、そう言われたほうが諦めがつき期待も希望もせずに済むのにそう思います。最近は後先何も考えず「会いたい、ただただ会いたい、子供達にも、そして元嫁さんにも」そう書いて手紙で送ってしまおうか、素直な気持ちを伝えたい、そう思ってしまいます。会ってもらえるはずはありません。ただ今の素直な思いを伝えたい、ただそれだけなのですが、それもやはり私には許されないことなのでしょうか?どうしたら諦めがつくのでしょうか?とてもとても苦しく思います。
幸せそうな家族を見ると孤独で寂しく諦めなければいけないのにやり直したい気持ちが強くなってしまいます。やり直せるはずもないのに期待してしまう自分がいて、何年かしたら帰れるかもしれないそう思ってしまいます
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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素直な気持ちが人を傷つけることもある
過去の分も含めて、相談文を読ませていただきました。
文男さんの家族に会いたいという思いに胸がつまるばかりです。
生活が落ち着いてきたことで期待や希望を抱いてしまうのですね。「素直な気持ちを書くことも許されないのか」とありますが、文男さんは本当はどうすべきか、すでに分かっておられるのでしょうね。だからこそ、おさえられない気持ちをここで吐き出されておられるのでしょう。
それでもあえて厳しい意見を申し上げることをお許しください。
文男さんが「あいたい」という手紙を書き、それを元妻に送るのは自由です。しかし、そのことが文男さんのためになるのかと言えば、きっとならないでしょう。それどころか逆効果だと思います。
なぜなら元妻は、文男さんからの手紙を見るたび、固まりかけた心のかさぶたを剥がされてしまうからです。
そして、元妻は、その生傷のところをフォークのようなものでグルグルとかき混ぜられるのです。
手紙が送られてくる度に、その凄まじい痛みで気を失いそうな思いになっておられることでしょう。
そんなのは嘘だと思いますか?私も自分で書いておきながら嘘であってほしいと思います。だから、上の意見は私個人の想像として受け止めてください。
しかし、その痛みを文男さんは想像することができますでしょうか。できるか否かで、手紙を送るべきかどうかの答えは自ずから出るのではないかと思います。
こんなことしか書けなくて、本当にごめんなさい…。
私自身も文男さんのかさぶたをはがすような言葉を今書いてしまっています。そのように、素直な気持ちは時に人を傷つけることがあるのです。
それが分かってるから元妻は「送らないで」と言わないのではないですか。
お許しください、お許しください…。辛抱ですよ、辛抱ですよ…。
私が言えた義理ではありませんが、また寂しくなったら、ここに書いてください。そして、あなたの苦しみを少しずつ僧侶たちにおすそ分けしてください。そのためにハスノハはあるのですから。
質問者からのお礼
有難いお言葉ありがとうございます。友人が少しずつでき、とても嬉しくもあるのですが、反対に独りでいる時間が以前よりも寂しく感じてしまい、家族が恋しくなってしまいます。世の中には事故などで家族を突然失ってしまい、会いたくても会えない人はたくさんいると思います。そんな辛い思いをしてる方はどのようにして生きているのだろう、そう考えたりもします。私の場合、いつか会える可能性はあります。3年という期間を経て、子供達に会わせてもらえる可能性がまだ残されています。まずは3年間は辛抱するしかありません。それが私に与えられた贖罪のひとつでもあります。一生懸命耐えてはいるのですが、1日1日が長くて長くて仕方ありません。まだ1年2ヶ月しか過ぎていないのかと思うと果てしなく長く感じます。3年という期間を耐え、どのような人生が待っているのか不安しかなく悪い方にばかり考えてしまいます。