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不倫断ち切りました

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丹下様
先日、質問させていただいた者です。その節の回答ありがとうございました。
主人とは家庭内別居中です現在まで20年程。その間夫婦生活もなく…(私が20年前に病気をしてしまって、それからです)
それで、いけないと知りつつw不倫へ。自分の欲をみたすだけだったのかもしれません。相手の奥様に申し訳なく奥様にバレてないにしても、もうすでに傷つけているのでは?と思い相手の方にもう私の方から連絡する事はない。連絡もしないでほしい。と伝えしお別れしました。丹下様のお言葉がなければズルズルとなり多くの人を傷つけてたかもしれません。もう後は振り返りません。
主人にも申し訳ないとおもっており
これからは、主人とどう生きて行くのかお互いちゃんと向き合い話あっていけたらと思います。
時間がかかると思いますが少しずつでも歩みよって…生涯の伴侶として。
すいもあまいも…相手の長所だけなら恋愛でいいのかもしれない。長所も短所もすべて受け入れてこそ夫婦なのかも…と思う今日です。

長文になり、また取りとめない文章になりました


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

おめでとうございます

昨日までのことは問わず、これからを生きましょう。
人間の悩みのおおもとは、起こった出来事に後から追加的に自分の思いを生じさせて苦しんでいる姿。
ここを自覚なさってください。
あなたは自らの意思で断ち切った。
それが不動明王の剣、文殊の智慧の「つるぎ」です。
それは自らの中に在るのです。
ズルズルを選択するのも自分。
断ち切りたいけど断てない、と言いながら断ち切らない方を選択しているのが不倫にハマっている多くの人たち。それは、断ち切れないのではなく、そちらを選択していたのです。
あなたは、そこを断ち切る聡明さを持っていた。
それがあなたが自らの力で生み出した倫理、道徳を兼ね備えた宗教心というものです。
人間は生まれながらのままで居ると、どうしても自己中心的になる。
そういう生き方では苦しみ多き人生であることを知って、自分を中心とした生き方を離れる。それが仏教、仏道です。
落ちたのはその時だけ。
もうあなたは這い上がった。
過ちを犯したのはその時だけ。もうその時は過ぎ。改心された。
今後は、もう自分を責めることなく、自分を過剰に愛そうとする心を誰かを愛する力に転化させてください。陰ながらご主人がずっと寂しい思いをされていたと思います。
傷をいやすべく、寄り添ってあげてください。また何かありましたらいつでもどうぞ。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下様

有難いお言葉ありがとうございます。
お礼が遅くなり申し訳ございません。

そうですね。約20年もの家庭内別居中とはいえ、主人から「離婚」の言葉がないのは私の好き勝手な行動も含め見守られていたんだなと。
過去は過去として、これから先のことを前を向いて…
何かあったらその時また助言頂けたらと思います。
ありがとうございました。

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