自責と後悔と共に生きる。
妹の死のことで何回も投稿してるものです。今回は少し空きました。何度もすいません。
今日も今思ってること、僕の現状聞いてください。
妹が急死してから8月26日で4ヶ月立ちました。
良く生きて来たなあと思います。
ハスノハを初め死別について色々相談したり自分で調べたりもしました。
やはり今でも罪悪感、後悔、自責が強いです。全く薄まりもしないです。
のでこの思いと共に生きるしかないなと最近は思ってます。
とても苦しいことですが、しばらくはこのままで生きて行くしかないなと思ってます。
あの最後の日、仕事休むか、早退すなかったこと、前日も当日も調子悪そうだったのに、心配するどころか、思いどおりにご飯食べない、薬も全然飲まないことに対して怒ったこと、そもそも死ぬ半年前から薬がよう飲まんくなってきてたのに、お薬ゼリー買ったり、薬切ったりした程度で他に何も対策しなかったこと、薬は基本本人かヘルパーさんか施設の人に任して自分は飲ましてなかったこと、僕はただ車イスの妹を介護タクシーで毎月病院に連れていって薬をもらってきてだけでした。薬をもらってきて飲ましてはなかったのです。意味ないですよね。僕が飲まさないとね。だからもっと早く入院させたり施設に入れとけば助かったのに、とか色々な後悔がありますが、その思いは自分の心から涌き出て来るのでどうしようもないのです。誰に何と言われようが。
だからこの思いを持ちながら生きて行くしかないなと思うのです。それが嫌なら死ぬしかないですが、僕が今死ぬわけには生きません。
あとは妹への供養、妹を思うこと、感謝、今後も妹の為に生きること、苦しくても、耐えて生きること、ご飯食べる事やトイレ行く事も罪悪感あるけど、それでも生きること、母をやがて看とるまではとりあえず生きること、仕事中に涙出ることもあるけど、生きることしかないなと思います。ホント回りに直接こういう話し出来る人居ないのは辛いですね。子供や若い家族との死別経験者がいたり、こういう重い話し聞いてくれる人がいたらなあと思います。
仕事仲間はみんな妹の話しは聞いてくれる空気ではありません。最初のころ妹の事色々話してたら何故か激怒されたので、仕事仲間は信じれません。妹の死を何と思ってないようです。
仕事と仕事仲間は適当に利用してやります。
まあだいたいこんな気持ちで今は生きてます。
何か助言あったらお願いします
僕は先日4月26日未明に最愛の妹礼子あやこを僕の判断ミスで死なせて亡くなってしまいました。家族は認知症要介護5の母とその障がい者でてんかん病気持ちので妹です。父は10年ほど前に他界しており、それを気に大阪から家族のいる愛媛県に来ました。母は2012年のことです。母が2014年くらいに認知症になりそこから近くに住む叔父と僕とケアマネさんヘルパーさんディサービスなど利用しながら何とか生活してきました。その叔父も数年前に他界してしまいました。僕は長年パチンコ屋で働いてきて2交代制で昼間はデイサービスやヘルパーさん使ってましたが夜は2人に任せてました。その夜勤務の時に妹がてんかん発作お越し嘔吐物による窒息で亡くなってしまいました。
妹に守れなくてごめんねと謝りたいですけど最後の日妹は体調悪そうだったのに薬もなかなか飲めずにご飯も食べてなかったのに、僕はイライラしてどうせどうにかなるだろうと甘く考えて仕事に行ってしまいました。
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自責とともに生きるなら、それでもいいと言ってあげたい。
あなたの気持ちのそばに。
妹さんにもこうして出会えました。
私も、一緒に、想って生きていきたいわ。
あなたが、自責とともに生きるなら、それでもいいと言ってあげたいし、言える場を大切にしたい。
いつだって、妹さんの話をしましょう。
何度も申し訳ないと思うことはないのです。
あなたの気持ちのままに、私は大切にしたいと思っているのですよ。
質問者からのお礼
中田住職、いつもありがとうございます。
4ヶ月経ちました。
この自責と共に生きることが今の僕の生き方、答えかなと思ってます。
苦しいかも知れませんが、これが普通となれば苦しくなくなるかもしれません。
自責や後悔は愛情があるから生まれる気持ちだそうです。
妹は死ぬ時は苦しかったです。
今は仏様になって極楽浄土にいます。
生前は車イスで移動も大変でしたが、今は極楽と現世も空も自由にどこでも行けると思います。
妹はゲゲゲの鬼太郎が大好きでした。いったんもめんに乗ってるかもしれません。
僕や母の近くにもいるはずです。
家の中にももちろんいます。
これからも妹と共に生きて行こうと思います。
また話し聞いてください。