神様とのお約束を破ること
よろしくお願い致します。
私には小さい頃から日常的に神様に心の中で祈ることが多く、今でもよくしています。
しかし、最近では「〇〇をしない代わりに」「〇〇を辞めるので」などと条件をつけてお祈りをすることが多くなりました。
神社に行って祈願をしたというのではなく、心の中で唱えただけの形です。
それなのでこれを神様とのお約束と呼んで良いのかもわかりません。
しかし最近、私はこのお約束に悩まされるようになってしまいました。
スマホの使用時間を条件にお願いをしたのですが、かなり無理のある時間にしたこともあり守ることができませんでした。
その時間分スマホを使わないようにしてご返済しようとしています。
しかしまだ何十時間も残っており、また余分に使ってしまったりしてなかなか終わることがありません。
よく考えもせず、条件をつけて願掛けをしたこと、
自分の怠惰のせいで守れないという状況になったことは全て私の責任です。本当に後悔しています。
しかし最近ではこのお約束に縛られ、スマホの時間をタイマーで測ったり、
計算したりしていているのですが段々と自分の行動が異常なように思えてきました。
友達と過ごしている時もスマホの時間を気にしています。1日にスマホを少ししか使えないのも辛いです。
この祈願をしたのは半年以上前のことで、以下の二つのどちらかだったように思います。
「スマホを使わない代わりに虫歯の治療が無事に終わりますように」
→実際に虫歯の治療は問題なく終わったため条件を破ったらばちが当たるのでは、と思ってしまいます。
「次のテストまでスマホを〇〇時間しか使いません。もし守らなかったら受験に失敗するかもしれません」
→このように、受験を条件にかけたようにも思います。
私にとって受験はとても重要でありこのお約束を破ったことで失敗してしまったら…と怖くなってしまいます。
私には昔から「これをしなかったら悪い事が起こる」という意識が急に起こることが多く、それも関係しているのかもしれません。
しかし悪い事が起こったらどうしよう、と考えてしまい抜け出すこともできません。
私はどうするべきでしょうか。
やはりこのままお約束を守るため、スマホの時間を制限していった方が良いのでしょうか。かなり悩んでいます。
ご回答をいただけると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
神様とは・・・?
Riuさんのお悩みお察し申し上げます。
まずは、神様との約束は、あくまで自分自身で言ってみれば、自分の都合であり、神様には全く関係ないことであることを自覚してください。
ゆえに、約束を破ろうが守ろうが神様には関係ないことなので、そこにあるのは原因と結果という、自然の摂理だけです。
何故、神様は関係ないかと言えば、満たされた存在が神仏なので、私たちがあれこれと貢物をしても必要ないということです。でも、昔からお百度参りなどとありますが、これも自らの意思を固くなにするもので、神様とは関係ないとなります。でもそこで誓ったのならお礼参りをするのは礼儀です。
さて、今回のRiuさんのお悩みですが、あくまで、自分自身で神様を想定したのですから、取り消すことも自分自身です。結論から言えば、自分自身をがんじがらめにしないことです。早く自由に解放してあげてください。
もっと楽に生きることを考えた方が、そういう意味では神様は応援してくれます。
「神様は実は自分の中にある」となれば、もう少し考えも変わるかもしれませんね。
ポジティブ路線をおすすめします
ご質問拝見しました。
スマホがRiuさまにとって生活の中で大きな割合を占めているのかな。
もしかすると神様の次に大切な存在になっているのかもしれないですね。
スマホは水や火、電気と同じくらい人の生活になくてはならないものになっています。私もこの回答をスマホから打っています。
でも、水も火も電気も扱い方を誤ると事故のもとになり、生活を脅かす存在にもなります。
扱い方がそれでいいかな?
という視点でもう一度ご質問文をみたところ、気になる点がありました。
スマホとか我慢でなく『祈り方』です。
『もし守らなかったら受験に失敗するかもしれません』
『これをしなかったら悪い事が起こる』
という部分です。
できなかったら、ダメだ的な罰を与えたり自分を脅す系の暗示は、経験上、自信よりも不健康さを増大させます。
また無意識のうちに『できて当たり前、出来なきゃ無意味』的な上から目線の価値観を植えつけます。
神様の教えは深く知らないのですが、浄土真宗は『できなくて当たり前、凡夫だし。できたら有難い。仏さまのおかげさま』という視点です。
『スマホの制限も難しい私だけど、心の弱い私を支えてくれてありがとう』
です。
『人生うまくいかない方が当たり前、望む結果になったらありがたい』
『これをしたら、いいこと起こるかもしれない、ラッキー確率上がるかもしれない』
『ダメかもしれない』をお祈りしたいんじゃないですよね。
『合格したい』ですよね。
『昨日は何とか一年前よりスマホ時間制限できた、おかげさまでありがとう。明日も心の弱い私を見守ってください』
の方が煩悩も増えないと思います。
次の進路ですることはスマホですか?勉強ですか?
将来につながる専門的、あるいは高度な学問を学ぶための受験ならば、準備すべきは学習習慣でありスマホ依存ではないはずですよね。
この時期はライバルより、自分の心に負けないことが大事です。9月、10月の蓄えができると、後が有利です。
私も今月資格試験があります。
ゲームアプリは控えて過去問アプリを繰り返してます。
お互い頑張りましょう。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
とても気持ちが楽になり、自分の考え方を改めようという気持ちになりました。
私は心の中で、スマホを使うことに罪悪感がありその事からも自分に罰を与えるような暗示をかけてしまっていたのかもしれません。
しかし今後はもう少しポジティブに、達成した時に自分を褒めるような意識を持ちたいと思います。
また、神様は自分に中にいる、という言葉にはっとしました。
自分をがんじがらめにするのではなく、自分のためを考えてスマホとも向き合っていきたいです。
ご丁寧なご回答を本当にありがとうございました。とても前向きな気持ちになりました。