顔への執着をなくす方法
何度も同じ質問をし申し訳ありません。今までご回答いただいた方々ありがとうございます。
しかし、生地獄のようで、また質問いたしました。数ヶ月前に事故で左目の容姿を醜くくし、一生、絆創膏で隠して生きていくことにしました。絆創膏を貼ると外見からは当該部はわかりません。しかし、容姿を褒められることが以前以後も多く、前の目に執着しています。元には戻らないため絆創膏の自分で日常生活をしたいのですが、以前の外見への執着から絶望感、無気力が続いています。この執着を頭からなくすには悟りしかないのでしょうか...?この事故が起きた意味も見出したいです...。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心は無常。心に台風が来たら雨戸を閉める。
法然上人は、「一人一日のうちに八億四千の念あり」と言われました。
私たちが24時間過ごす間の心の動きを映画やアニメに喩えるなら、24時間の動画は、実は8億4千コマの画像(心の時間の最小単位=念)から成り立っています。
心はそれくらい速く変化して、瞬間ごとに浮かんで消えていき、瞬間ごとに新しい「念」、新しい心、すなわち「新しい私」なのです。
心は無常なのです。
あなたが日常生活の中で、目のことや容姿のことを考えている時間は、8億4千念のうちどれくらいでしょうか?
24時間のうち、1時間?
でも、実は、1時間途切れず同じことを考えてはいないのです。
目のことを気にしている瞬間と瞬間の合間に、「あ、セミの声だ」とか「トイレに行きたいな」「足を組み換えよう」など、心の映画が別の場面に切り替わる時間がかなりあります。
ですから、実は、目や容姿を気にしつつも、他の場面が平和なら心の映画全体としては美しいのです。
たまに台風がやって来ても、晴れる日もある。
大切なのは、台風が来たら雨戸を閉めて過ぎ去るのを待つこと。
たとえば、目や容姿が気になっても、「南無阿弥陀仏」と念仏して「念仏すれば容姿が悪くてても極楽浄土に往けるから平気へっちゃらだ」と心を念仏に切り替える。
心に台風が来たら、念仏の雨戸で守るのです。
念仏は一例ですが、何か心が明るくなれたり落ちつけるアイコンを作っておきましょう。
嫌な気分をリセットするツールさえあれば、悟っていなくても執着が残っていても、上手く生きられます。
歌を口ずさむのとかも良いですね。
あと、事故に意味はありません。
全ては必ず壊れる。ただそれだけ。
追記
生きるのは苦しいですが、その苦しみはざっくり言うと、やるべき宿題が毎日あるというだけなのです。
宿題が無くなることはないけど、一つ一つ今日の分さえやっていれば合格です。
あなたは、苦しみ(宿題)ゼロの日は無いという真理を学べましたね。
助言やアドバイスを「採用・取り入れない」のは本人
自分にとって都合のよいことしかチョイスしない心理は自分が美への執着、依存が続いている状態です。何を言っても猫に小判、ヌカにつけま、のれんに壁ドン状態です。その執着を捨てるために自分ラブを改めればき無限ループが終わる。
あなたが優先しているのは僧侶の回答や解決法ではなく、顔が元通りになってほしいという叶わぬ願い。いわゆるふさぎ込んでいる状態だから話を聞く気や採用する気がない。治したいと口で言っているだけで心底願っていない。なぜなら本当にその苦しみを治したい人はすべてを捨てて「何よりもそれを優先しよう!」とする意識が生じますが、あなたにはその気配がありません。(._.)諦めがつかないのでしょう。ならば、その、それほどまでの自己執着、ナルシズム、自己愛、自分ラブのおぞましさ、気持ち悪さを自分でそこで気づいてその意識をこそ遠ざける。剣先が自分の身の錆を切らないのは自分ラブ一心ゆえに自分を苦しめていながら、他の力を受け入れず自我スタンスを捨てられない姿。それは本当の自分愛が足りないから。真の愛がなくやましい愛にとどまるから自分を救う方法を選択しないのです。
そこで美を求める精神を活用する。見た目の美しか求めない今のあなたの人間性は低い美意識。美とは程遠い品性なのだと意識を高めることで苦しみの原因のエロ自我を断つ。
そこのエゴを容認しているから苦しいのです。自分ラブを容認したまま苦を取り除こうとする姿は、あたかも肝臓を壊したアル中患者が酒を断つたって肝臓をケアする薬を酒で飲んでいるようなもの。俺は美しい、俺は美しかった、俺はカッコよかった、そして今はもう違う。変わってしまった。でも、そんな自分を認めたくない。顔を元通りにしたい。できない。過去の栄光にしがみついてしまう。坊さんがこうした方がいいよとは言っているけど、それは気に入らないから…「結果、不採用。」からの「ああ可哀そうな俺。ああ残念。あれさえなければ。」☚この繰り返される心理アクションの再発動時を見極める。
助言を採用しない…からの無限悲観ループ。今の俺は過去の栄光にすがってうっとりすることが好き。ああ、美しかった僕。心地よかった日々…。そこで喪失感に陶酔して負の浸りを選択しているからでしょう。これまで自分の心が「なにを」やっていたか。そして「なにを」優先してきたかを振り返って、その行為の本質を知り、それを止める。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。念仏や大丈夫大丈夫の魔法の言葉で乗り切りたいです。当該部以外が整っていることが執着を地獄のように強くしています..。顔に欠損のない普通の人が羨ましいです....。しかし、あるものに感謝したいです。プライベートの時間はかなり辛いですが、仕事はなんとか最低限こなすように頑張りたいです。
追記いただきありがとうございます。もう少し遅くに壊れて欲しかったですが..、もう過ぎたことですね..。欠損した眼と、絆創膏と他の整った部分という、辛く複雑な感情をまとって生きることになりました。今は本当に無気力と絶望の中にいますが、人に親切にするように心がけ、美しい場面を多くしたいです。今回、生きるのがこんなに苦しいかと知りました。
追記ありがとうございます。今は急に手に負えないほどの宿題が未来に続くのが見え、途方にくれている状態だと思います。自分であることが苦しく、軽蔑してしまう状態ですが、一日分ずつこなしていきたいです。人生の残酷さ...、まずは受け入れることから始めたいです。ありがとうございます。
丹下様
ご回答ありがとうございます。何度も読み、改善していきたいです。