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亡くなった母のために何も出来なかった。

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昨年末、母が亡くなりました。
今月で10ヶ月経ちましたが、会いたくて会いたくて、話したくて仕方ありません。
がんと分かってから8年半以上、母は頑張りました。
最後の2ヶ月弱は緩和ケア病棟にいましたが、後半の15日間は脳梗塞のような症状で意識障害でした。
家族の泊まりの許可が出た4日間は意識が戻っているようで話せはしなかったけど、手を握って意思表示をしたり、付き添いの申請書を出してくるねと言ったら手を出したので渡したら読んでいました。父が撮った写真も手に取って見たりと奇跡のような時間を過ごしました。
はっはっはっと笑って私たちに伝えようともしました。

調子がいいとのことで再度付き添いの制限がされ翌週、週に一度の面会の時には明らかに意識を失い元の状態に戻っていました。
そこから2日間ほどの頑張って苦しそうな母を見て、もうゆっくりしていいよという感情でしたが、最近その8年半で病気の改善のために何も出来なかった自分がとてつもなく醜いものに感じてきました。

病気が分かってから手術や抗がん剤をしていましたが、それ以外にも保険適用外の治療や漢方、自然食品などを調べてなぜ実行に移さなかったのか。
最初の頃、漢方のお店に行って自然食品が1ヶ月で10000円と知り、厳しいなと思い諦めてしまいました。
今思えば、年で12万、10年で120万です。
母が最後に残してくれた貯金はそれ以上でした。なぜ私は自分を守ってしまったのか。
母のために費用がかかってもいいから色んなものを試さなかったのか。
その後悔がすごく、自分の私欲に反吐が出るような気持ちです。

母がもっと生きられるように、自分を犠牲にしなかった自分でこれから先自信を持ち正しく生きることが出来るのでしょうか。
どのような考えを持てば誰かのために自分を犠牲に出来るのでしょうか。
抽象的な質問で申し訳ありません。
母は保険治療で大丈夫だ、母だけは死なないと思って油断していたら突然がくっと来てしまい、今となってはあの頃に戻らせてくれという気持ちしかありません。
ご助言をいただけると幸いです。
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

親の看取りに後悔しない人は少ないでしょう

私もいまも前住職のターミナル期のことに後悔しています。ガンが進行し口から食べ物や飲み物が摂れなくなったなった時点で、かかりつけ医は普通の点滴だけして二週間程度で亡くなるのがいいだろうと考えていました。私は中心静脈に点滴をしてもらえば栄養も水分も十分入るからそうしてほしいと言いました。かかりつけ医は、「しんどい時間が延びるだけかもしれませんよ」と言いましたが、結局、私の言ったとおりになりました。前住職もそうすると言ったからです。よく理解してそう言ったのかは分かりませんけど……。

結果としては余命が三月ほど延びたと思います。家で看取ったので家族に囲まれて質の高いターミナル期であったとは思います。しかし、かかりつけ医が言ったとおり、つらい時間が長引いたのは事実でした。もっと早く、かかりつけ医が考えていた通りに亡くなっていれば苦しまずに済んだ面は確かにあります。

ちょうどそのころオランダ人男性のもとに嫁ぎガンを発症し、安楽死が認められているオランダで自ら死を選んだ女性に関する本を読みました。『美しいままで』というタイトルです。女性はネーダーコールン靖子といい、歌人で朝日歌壇によく入選作がのっていました。靖子さんのご主人は本のなかで「あと三日早く安楽死させてあげるべきだった」と語っています。苦しい時間が長引いたからです。私はこの談話を読んだとき、愕然とし前住職に済まないことをしたと思い、泣きました。20年以上前の話です。

それから10年ほどしてようやく文字に書けるようになり、実兄に上記のことで苦しんでいるとメールを打ちました。兄からの返信には、母、父、祖母の病状が重篤化した際、医師は兄に選択と決断を迫りました。そのすべてが最善のチョイスだったとは到底思えない。後悔しきりである。翻ってお前(藤岡)も辛いことだろうが、お前のところの前住職さんだったら、そんなことはみな分かってくれていると思うと書いてありました。

以上、私の経験を述べましたが、共通しているのは親の看取りに後悔していない人は極めて少ないということです。みんなかどうか分かりませんが、たいていの人はあなたと同じように苦しんでいます。話すかどうかは別にして。

そして、親御さんというものは、そんな子供たちのことを分かってくれていて許し、受け入れてくれている、そう思うんです。

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有り難し
おきもち

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質問者からのお礼

藤岡俊彦様
お返事をいただき、本当にありがとうございます。しっかりと読ませていただきました。
親の看取りに後悔していない人はいない。そうかもしれません。母が望んでいることは何となくわかっていました。
緩和ケア病棟に入って間もない頃、生きるためのことより葬儀のことやその後のこと、そっちを考えてくれた方がいいだよ、充分頑張ったから尊厳死させてもらうだよ、寿命だと思ってくれればいいと母は言っていました。
そんなことはこっちは認めたくない一心でしたが、母の覚悟は今思えば強いです。怖くなかったのかな?なんて思います。

何も食べられなくなってきた頃、先生に胃ろうはどうですか?と私が聞いたら、母はそんなのいいですと断っていました。母と少しでも長く一緒にいたい、私はそれだけでした。母はこんなんだったらもういいです、というようなことも私たちがいない時に先生に言っていたようです。
母は自分らしくいられるうちに、自分の人生を全うしたかったのだと思います。
意識がなくなってもまた戻るかもしれない、何が起こるかわからない。奇跡が起こるかもしれない、だからどんな状態でも生きていて欲しかった。そう思う私と母の気持ちは違っていたのです。

最後に書いていただいた、親はそんな子供たちのことを分かっていて許し、受け入れてくれている。
そのお言葉をいただけただけで、救われたような気持ちです。
ありがとうございます。
母がどう思っていたかは分からないですが、自分のことで精一杯でごめんね、もっと出来ることがあったのにしてやれなくてごめんね、なんにも伝えてあげられなくてごめんね、という気持ちは忘れることなく、私の父や他の人達に対して後悔しないように行動できるよう、母が教えてくれたのだと思います。

はすのはでご両親や祖父母の方が意識がなくて何も伝えられないから辛いと仰っている方がいます。
私の経験をもとにお伝えいたします。
看護師もよく言うのですが、意識はなくても耳は聞こえています。
最初はそんなわけないと思っていました。でも本当でした。

意識のない母に質問をして、はいだったら手を握って、ということを何回かしていたのですが、本当に握ったり握らなかったり、意志を表していました。
最後に疲れる?疲れるなら手を握ってと聞いたら手を握ったので、そこで質問はやめましたが。

ほんとに聞こえてるんだね!って母と会話していました。

あの日が僕と母との最後の会話、楽しかった1日でした。あの1日を大切にこれから辛いですが生きていこうと思います。

また質問をさせていただくかもしれませんが、どうぞよろしくお願い致します。

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