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人を妬んでしまう、趣味が楽しめない

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有り難し有り難し 49

私は現在精神的な病気の療養のため、心を休ませながら日々を過ごしています。
最近ようやく活力が戻ってきて、数年間触れずにいた趣味を再び始めてみました。
私の趣味は創作活動系のもので、技術的な知識を得るために色々な人の作品を見ることがあります。

しかし、今までは良いなと思っていた他人の作品(趣味・アマチュア)に嫌悪を感じたり妬んだ目で見てしまいます。
それまでは作品たちから元気を貰っていた筈なのに、嫌な気持ちになってしまうことがあるのです。

普通の羨望や嫉妬とはなんだか違うような、もっとタチの悪い、陰湿な感情のように自分では感じています。
作品を通して相手を全面否定したくなるような感じがしばしばあります。

その作品が素晴らしいのは作者が時間をかけて技術を習得して現在も努力しているからだ、と頭では分かっていても、努力ができた/できる環境が妬ましいとすら思ってしまいます。
作品を超えて相手の生活や来歴、境遇にまで難癖つけてしまいたくなるのです。
作品評価を超えた相手への否定は創作活動においてタブーだと個人的には考えてるので、自分の人間性の程度を感じて情けなくなります。

こんな自分がとても嫌です。
これではいけないと思い、しばらく他人の作品の鑑賞から離れているのですが、自分が勝手に抱いた悪い印象は今も拭えないままです。

自分にも相手に対しても、粗を探しては勝手にがっかりしてしまうことが最近とても多いです。
嫉妬をして、自己嫌悪して、自分の制作も上手くいかずなかなか完成しないことにがっかりして、心のエネルギーを余計なことに使っているような気がします。
病のせいで落ち込んでいた元気もようやく回復し始めてきたというのに、エネルギーの使い方も時間の使い方も無駄にしているような気がして焦燥感にもかられています。

この趣味はライフワークになるのではないかと思っているので、趣味そのものを長期間止めるということはできればしたくありません。

長文乱筆で申し訳ありません。相談の主題は、
「趣味活動を足がかりにして病状を回復させたいと思っている中、厄介な感情が湧いてきて上手くコントロールできずにいる。療養とこれからの人生の為に良い方向に舵取りしたい、どうすればいいか」 です。

なにかご教示いただけたらと思います。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まさに それが人間です。

人間には、たくさんの煩悩があります。特に代表的なものが、貪欲(貪る欲)、瞋恚(怒り)、愚痴(恨み嫉み)です。自分の思い通りにしたい心が、嫌なものを徹底的に排除したいと思ってしまう醜い姿です。これが人間の本質であり、誰もが持っている心でもあります。どんな人でも、必ずです。それに気づきながらも、コントロールが難しいから、苦しいのです。
こんな自分がとても嫌だと、言えるのは、それだけ自分をしっかり見れている、向き合えている証拠。

仏道の道を歩む お坊さんだって、いつでも心穏やかに生きれているわけではありません。自分を深く見るからこそ、悩み苦しむ毎日です。その人間の根本的苦悩を越えていくのが、仏教の教えです。自分を見、その自分を認めるからこそ、開かれる世界です。

あなたが、今 悩む中には、自分の創作活動に何か行き詰まりがあるからではないですか?それに集中できない、自分自身の問題があるのでしょう。他の作品を、素直にそのまま観るということが、難しくなってしまっているのです。

病状の回復のための創作活動が、苦しめる原因になっているのであれば、一度 時間 距離 を空けてみてはどうですか?想いがあれば、必ず その世界に戻ってこれます。創作活動がより充実しものにするための鑑賞で、苦しむ原因を膨れさせてしまっては、逆効果です。
まずは、別世界の環境に目を向けてみては? また違った見方が出来る、私になれるはずです。

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おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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ライフワークにしようと思わない

心の病が少しずつ良くなっていて良かったですね。
趣味に打ち込むことはいいと思います。

しかし、その趣味をライフワークにしようと思わない方がいいと思います。
ワークとは仕事です。
仕事には利益が必要です。
利益の為にはお客様の評価が必要です。
評価の為には、同業者に勝ちたい、もっと注目されたいと思ってしまいます。
それは既に楽しい趣味ではありません。

趣味は趣味として楽しむ事をお勧めします。
もしあなたの作品を売って欲しいという人がいたら売ればいい、売ることを目的にしてない、くらいの気持ちで。

趣味ならばあなたの個性を活かせます。
他人の評価を気にする必要もなくなります。

あなたのこれまでの人生は、他人が経験していない事です。
あなたの喜び、あなたの苦しみ、あなたの思い、あなたの考え、あなたの希望、あなたの失望、あなたの見た景色、それらは他人が経験していない事です。
それを作品に活かせば、それはあなたの個性を活かしたことであり、誰にどう評価されても構わないのではないでしょうか。
あなたのことを知ってる人は皆褒めてくれるでしょう。
あなたは自信を持って創作出来るのではないでしょうか。

そして、趣味が何十年と続き、経験とスキルが身について、創作の幅も広がり、ファンもできて、ライフワークになれば良し、ならなくても趣味として自分が楽しむ、家族や友人が見て喜んでくれる、ということでいいのではないでしょうか。

機会がありましたら、あなたの作品を是非見せてくださいね。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

■中田三恵様

>自分を深く見るからこそ、悩み苦しむ毎日です。
この言葉がすとんと心に落ちました。

以前までの自分は何か物事をはっきりさせることを受け入れられず、恐れ、気持ちを処理しきれない人間だったのだろうなと考えさせられました。漠然と生きることが好きだ、自分はのんきな性格なのだと思い込んでいました。しかしそれは少し違っていた。私は目や耳や触覚を付けるのを嫌がって、ふんわりと空中に浮いて生きていたのかもしれません。

「最近元気出てきたし、もう目耳を付けても大丈夫かも。ちょっと自分に向き合ってみようかな」と自分の心がどこかでそう思ったから、趣味を楽しいと感じたり嫌だと嘆いたりしていたのかもしれないですね。
例え方が分かりにくくてすみません。ありがとうございました。

■聖章様

すみません、言葉の定義に齟齬があったようです。
ライフワークとは、『自分が心から好きなことに対して利益を目的とせずに情熱を捧げている行為』の意味だと私は思っていたのですが、調べてみると天職の意味が多かったですね。必ずしも“仕事”のことを指すわけでもないようです。

>もしあなたの作品を売って欲しいという人がいたら売ればいい、売ることを目的にしてない、くらいの気持ちで が質問内での私の気持ちに近いです。

力の注ぎ方や加減を見誤るな、ということだと受け取りました。私を心配してくれている周囲の人の存在を忘れないように肝に銘じます。
ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ