片想い
職場で出会ったお坊さんが好きになりました。
名前やどちらのお寺なのかもわからず、次にいつ会えるかもわかりません。
周りへの配慮やお心遣いに惹かれました。
きっとその方にとっては特別な事ではないのだと思います。
さり気なさや嫌味のないところが良いなと思ったのです。
あくまでも互いに仕事の場ですし、もし会えたとしても進展は望めないかもしれません。
今の自分を戒めるにはどのようなことをすればよいでしょうか。
ひとつ拘りができると執着してしまう 他人の言葉に惑わされやすい 物欲
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今後の縁があっても、無くてもその出会いを大切に
こんにちは。
「お坊さん」と「職場で出会」うということは、お仏壇関係、葬儀関係のお仕事上かと推測します。
「名前やどちらのお寺なのかもわからず、次にいつ会えるかもわかりません」、とあります。葬儀だったら遠方から来られているかもしれず、再び会うことがないことも考えられます。地元のお寺だったら可能性は無きにしも非ずでしょう。
「周りへの配慮やお心遣いに惹かれ」て、「好き」になったのですね。
男女を問わず、素敵な振る舞いや言葉にハッとさせられることはありますよね。あなたの場合は「好き」だと表現するぐらいに気持ちが高まったのでしょう。
ただ、現実的に職場でお寺さんの名前を教えてもらうわけにもいかず、知ったからと言っても職場の立場もあるから「進展は望めない」と考えざるをえません。
ただ、ご縁があったらまた会える、無ければ出会えない、それくらいに思うのはどうでしょうか。
どちらがいいとか、悪いのということではありません。
ただ、有るか、無いかそれが縁です。
これくらいに構える。
そして、「好き」はあこがれ、ともいえるかもしれません。
あんな人に自分もなってみたいな、そんな自分への学びとしてのご縁と受け止めることも出来ると思います。そんな様々な思いを胸に秘め、あなただけの心の宝箱にしまう、そんな方法はいかがでしょうか。
質問者からのお礼
温かく丁寧なお言葉の数々ありがとうございます。
"有るか、無いかそれが縁"
まさに仰るとおりです。
自分が持ちたい心構えが見えた気がします。
日頃は自分が気配り目配り心配りする側であるため、される側になった時の感じ方も千差万別で時には人の心を動かすきっかけにもなるのだと身をもって感じられたことは、ひとつこのご縁の意味だったのかもしれません。
ご回答のお言葉を自分への戒めとし、この気持ちは心の宝箱に秘めつつまた明日から新たな気持ちで過ごしていけそうです。
この度はご回答くださり誠にありがとうございました。