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お坊さんに恋してからお寺に行くと辛くなる

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雰囲気が好きでよく通っているお寺でたまに見かけていたお坊さんが気になるようになってしまいました。

そのお坊さんとは話した事もないのですが何度か見かけるうちに立ち振舞いの美しさに惹かれて恋をしていることに気がつきました。

元々そのお寺にはリフレッシュのつもりで通っていたのですがお坊さんに恋をしていることに気がついてからはそのお坊さんに会えない(見かけられない)とガッカリして帰るようになってしまいました。

ご本尊にお参りしたりご祈祷にも参加しているのにお坊さんに会えないだけで以前と違いリフレッシュできなくなってしまっています。

恋すること自体は悪いことではないはずなのにせっかくお寺にきても悲しい気持ちになるのはそのお坊さんとは良きご縁ではないということでしょうか?

お坊さんに話しかける機会もなさそうなので想いは胸に秘めておくつもりですが何のためにこの恋心は生まれたのかと考えてしまいます。

どなたかこのような状況にアドバイスをいただけないでしょうか?
私は今後どのような心持ちでお寺に通えばいいのでしょうか?

2024年12月16日 4:02
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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お坊さんを通してどのような生き方をしたいか

ななさん お悩み拝読しました。お坊さんに恋をしたということは、素敵なお坊さんと出会ったのですね。素敵なことだなぁと思います。

私は、自分の師匠と出会った時に、師匠はすでに結婚もしていて年齢もかなり上だったので恋愛感情を持ったわけではありませんが、このような人になりたいと素直に思い出家を決意しました。そして、その気持ちを伝えたところ、「自分は師匠としてあなたにしてあげることは何もない、けれど、もしそれでも私の元で出家されるのでしたら一緒にお釈迦様の方を向いて歩いてください」と伝えられました。私は「わかりました」と答えて今に至ります。

ななさんがそのお坊さんを通してどのような生き方をしたいか、一度考えてみるといいかもしれませんね。お坊さんに会いたい、会えないとがっかりするという恋愛感情を超えて、出家をしないままでもお坊さんのような生き方をしたいと思いながら、学ぶ姿勢があれば、共に生きる姿に自然となっていくように思います。いいご縁だと思いますので、大切になさってください。

2024年12月16日 7:29
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有り難し
おきもち

個別相談可能
曹洞宗(禅宗)僧侶。スピリチュアルケア師。 もの心がついた頃から「生きるとはどういうことか」ずっと考え続けてきている気がしています。みなさまのお悩みに触れさせて頂きながら、深めていきたいと思っております。
事前にご希望の時間帯と相談内容をご連絡下さい。 プライバシー、相談内容の守秘義務は遵守いたします。

お参り続けてください

自ら仏に帰依したてまつる
自ら法に帰依したてまつる
自ら僧に帰依したてまつる

という仏教の基本的な言葉があります。

お寺は本尊に手を合わせるところ。
本尊へのお参りは続けてください。
同じようにお坊さんを見かけたときも合掌してください。

恋しました!との告白は悲しい道を辿ることになりますが、
推しのお坊さんへのあいさつ代わりに
サンガ サラナン ガッチャー ミー
と声かけしてもらうのはNGじゃないです。

2024年12月16日 5:11
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有り難し
おきもち

僧侶として長い時間を過ごしてきましたが、 四十年以上経った今でも、言葉や文字にできない思いはあります。 どんなに経験を重ねても、 世の中で起きる出来事や、自分の中に生まれる感情のすべてを きれいに整理して表現できるものではないと思っています。 だから、うまく書けなくても安心してください。 ここでは、無理に言葉を整えることよりも、 いったん息を整えて、静かに耳を澄ますことを大切にしています。 まとまりのない文章でも、途中で止まってしまっても構いません。 言葉になる前の思いが、そのまま置かれてもいい場所でありたいと考えています。
特別な準備や、上手に話すことは必要ありません。 このオンライン相談の時間は、あなたのために差し出された時間です。 話すことだけが人生の目的ではありません。 言葉が浮かばないときは、 ただ呼吸に耳を澄ませる時間として過ごしていただいても構いません。 日常の中で受けている外からの抑圧やストレスから、 ひととき身を離れるための「避難の時間」として この場を使っていただくこともできます。 僧侶である私は、何かを答える人というより、 あなたがこの時間を安心して過ごせるよう、 静かに同席する存在でありたいと考えています。 話がまとまらなくても、途中で止まっても大丈夫です。 この時間が、あなたのペースを取り戻すきっかけになれば幸いです。 なんまんだぶつ。

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