お坊さんに恋してからお寺に行くと辛くなる回答受付中
雰囲気が好きでよく通っているお寺でたまに見かけていたお坊さんが気になるようになってしまいました。
そのお坊さんとは話した事もないのですが何度か見かけるうちに立ち振舞いの美しさに惹かれて恋をしていることに気がつきました。
元々そのお寺にはリフレッシュのつもりで通っていたのですがお坊さんに恋をしていることに気がついてからはそのお坊さんに会えない(見かけられない)とガッカリして帰るようになってしまいました。
ご本尊にお参りしたりご祈祷にも参加しているのにお坊さんに会えないだけで以前と違いリフレッシュできなくなってしまっています。
恋すること自体は悪いことではないはずなのにせっかくお寺にきても悲しい気持ちになるのはそのお坊さんとは良きご縁ではないということでしょうか?
お坊さんに話しかける機会もなさそうなので想いは胸に秘めておくつもりですが何のためにこの恋心は生まれたのかと考えてしまいます。
どなたかこのような状況にアドバイスをいただけないでしょうか?
私は今後どのような心持ちでお寺に通えばいいのでしょうか?
お坊さんからの回答 2件
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お坊さんを通してどのような生き方をしたいか
ななさん お悩み拝読しました。お坊さんに恋をしたということは、素敵なお坊さんと出会ったのですね。素敵なことだなぁと思います。
私は、自分の師匠と出会った時に、師匠はすでに結婚もしていて年齢もかなり上だったので恋愛感情を持ったわけではありませんが、このような人になりたいと素直に思い出家を決意しました。そして、その気持ちを伝えたところ、「自分は師匠としてあなたにしてあげることは何もない、けれど、もしそれでも私の元で出家されるのでしたら一緒にお釈迦様の方を向いて歩いてください」と伝えられました。私は「わかりました」と答えて今に至ります。
ななさんがそのお坊さんを通してどのような生き方をしたいか、一度考えてみるといいかもしれませんね。お坊さんに会いたい、会えないとがっかりするという恋愛感情を超えて、出家をしないままでもお坊さんのような生き方をしたいと思いながら、学ぶ姿勢があれば、共に生きる姿に自然となっていくように思います。いいご縁だと思いますので、大切になさってください。
お参り続けてください
自ら仏に帰依したてまつる
自ら法に帰依したてまつる
自ら僧に帰依したてまつる
という仏教の基本的な言葉があります。
お寺は本尊に手を合わせるところ。
本尊へのお参りは続けてください。
同じようにお坊さんを見かけたときも合掌してください。
恋しました!との告白は悲しい道を辿ることになりますが、
推しのお坊さんへのあいさつ代わりに
サンガ サラナン ガッチャー ミー
と声かけしてもらうのはNGじゃないです。