心配性すぎて辛いです。
私は心配性で、なんとかなるという考えが分からないです。
昔からなりたい自分を事細かく想像し、そこから逆算しながら生きてきました。
心配性ということもあり、毎日不安で押し潰されそうです。
現在お付き合いしている彼女はいい意味でとても楽観的で、その時になってみないとわからないよと言ってくれます。そのようなところを好きになって2年半お付き合いしていますが、悪い癖で私といてこれから先幸せになれるのだろうか、苦労させてしまったらどうしよう…など考えても無駄という事を分かっているのですが考えてしまいます。
周りの環境にもすごく恵まれていて、何不自由なく生活しているのですが、自分で自分のことを追い詰めて精神的にとても疲れている状態です。
先日彼女に 何をそんなに生き急いでるの?人生楽しい? と言われ今まで生きることに対して楽しい楽しくないで考えたことがなかったので戸惑いました。
人生いきなり楽しく生きれるとは思わないのですが、〇〇になったらどうしようなど将来の事を考えて不安にならず、今を一生懸命生きよう!何か起きた時にゆっくり考えればいいか!と考えることが出来るようになるにはどうすればよいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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心配すべし、ただ心痛めることはなりません
こんばんは!
昨今「繊細さん」と呼ばれる方が増えて参りました。何事にも心配がついてまとって身動き取れなくなるという相談はよく耳にします。
さて「心配」とは書いて字のごとく「心配り」なんですよね。心配りなら、いくらでもしても心配りなので大丈夫です!
ただ、その「心配り」をする事によって自分がやらなきゃと思ってしまうのが繊細な方の傾向であります。ですが、そこで心痛めるような事があってはせっかくの「心配り」が台無しになってしまいます。
また、「なんとかなる」という精神は失敗に直結している。何事も「周到な準備と用意があってこそ成功する」。もし「なんとかなってしまった」場合、その人はそれからも「なんとかなる」で済ませようとするだろうと尊敬する師は仰いました。
この「周到な用意」こそ「心配の極意」であります。心配りに心配りを重ね、準備万端にする。
今の世の中、何かと急かされる世の中でありますが、石橋は叩いて渡ったくらいの方が良いのです、と私は習いました。
取り留めのない話となりましたが、貴方の人生がどうか心痛まなくなる日が訪れる事を願っております。
質問者からのお礼
心配というのは心配りということなんですね。
マイナスなイメージばかりでしたが、準備という考え方に変えてみると少し前向きになれました。
ありがとうございます。