彼氏との関係について
私にはもうすぐで出会って1年になる彼氏がいます。彼は20歳年上の人で職場が同じです。私の両親には交際を反対されており半ば強引に私が家を出て彼のところに転がり込んで住んで半年が経ちました。
最近彼と喧嘩ばかりで、彼から「価値観が合わない・話にならない・別れよう」と大きな喧嘩のたびに言われてしまいます。原因はその時々で異なるのですが最終的には価値観が合わないと彼に言われて別れ話に発展してしまいます。主な喧嘩の理由は、仕事の事や私から彼に多くを求めてしまい喧嘩になってしまいます。彼から私に対して言う時は、私が何かとルーズになってしまった時に言われたり、もっと自分から主張して欲しいなど言われる時です。自分には直さなければならないところがあるのはわかっているのですがなかなか直せず別れ話に発展してしまいます。
私はまだ彼のことが好きで、別れたくないのですがどうしたらいいのか分かりません。彼の言う通りにすべきなのか、別れずこのままいていいのか。どうすべきなのか悩んでいます。
人が何しているのか気になってしまう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心に負荷にならない程度で、正しい判断を
人というものは、ある程度 歳を重ねていくことで「自分の習慣と結婚している」のもあります。
人間、なんでも慣れるまで大変です。また慣れてしまったことは楽というか自然に慣れた行為を淡々とこなせます。
結婚や恋愛では歳のことは多少なりとも流行していたものでは価値観も異なることは事実ですよね。
彼に合わせるために努力して、彼の思う通りにすれば、くろさん自身はいずれ疲れるでしょう。また、与えられた彼はまた何かにつけて欲求心に火が点くことでしょう。
よく世間でいわれる
・恋愛観は=見つめ合うこと
・結婚観は=同じ方向をむくこと
このように恋愛と結婚だけでも大きく見つめる世界観は異なるものです。
仏教では恋愛を基本「渇愛」と申します。求めても求めても果てることがない欲望なのですね。
彼も年下のくろさんのことは好きでしょう。しかし、言葉の選び方も上手い人・下手な人もいます。人が真剣な話しをするときには、言葉の裏側に本音が隠れていることがあります。「本当は何を言いたいのだろう?伝えることによってギクシャクするのが面倒だから敢えて違う言葉で感じて欲しいと言っているのかな?」色々です。
お互いに無理が入ると、ジワジワと見えない心の距離は離れていくこともあります。
例えば)
直線を2本紙に書いていくとします。
1ミリのズレが生じた場合、一年では36.5㎝もズレていくのですよね。
釈迦は「善は急ぎなさい。善を為すのにノロノロしていると、心は悪を楽しむようになる。」と述べています。
よく、善は急げというものですが、病気も怪我も心の傷も掃除も人間関係も謝罪も何事も善にしたければ急ぐことが善(利益)となります。
喧嘩が増えていき、喧嘩に疲れたとそこに思いを馳せるのではなく、今好きな気持ちがあれば、多少の努力も苦労とは思えない段階であるかも知れません。
善は急いでいきましょう。
幸せを祈ってますね。
合掌