憎しみが消えない
30代の女です。
昔の悲しかった事、悔しかった事をしょっちゅう思い出し辛いです。
悪かった家庭環境や学校でのいじめ、社会人になってからの対人関係の失敗など。
自分の非もあるし。自己肯定感が低く、見た目の悪さなどで攻撃的な人間に目をつけられやすい。そのせいで馬鹿にされた事など頭ではしょうがない、これからそういった事にならないようと考えてるのですが色々な失敗や不快な思いがすぐに思い出されて毎日が辛いです。
そういった恨みや苦しみを捨てて、新しい出逢いなどをしたいと思っても出来ません。周りが憎いし他人が嫌いです。
けど救われたいし誰かに大事にされたいです。居場所が欲しいと思います。
また成人してからずっと一人暮らしで自分の事を自分でしてきました。当たり前だけど、すっかり1人が楽で誰かと一緒になるのを考えた時、自分が損するんじゃないかと考えてしまいます。この考えもどうすればいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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思いは伝えた方が良い
自由に動けるうちは一人で好き勝手やって生きていけますよね。病気をしたり歳をとって自由がきかなくなってきたりすると心が弱くなるものです。
多くの人は人との関わりがとても恋しくなります。
過去の出来事は確かに辛いものがあったのでしょう。しかしそれはもう記憶でしかなく、二度と関わらなくて良いことですから、そこを考える必要は一切ないですし思い出したとしてもリアルではなく妄想ですから、相手にしないことです。
よくアンガーマネジメントで6秒待つと怒りがおさまるとかいいますが、思いというものは、手をつけないでそっとしておくだけで消えていきますから、握らないことが大切です。
そして今これから出会う人は過去の人ではありません。心配せず向き合っていけばいいのです。伝えるべきこと思ったことを素直に話せれば良いのです。思いは声にしないと伝わりません。口数は少なくても、きちんと言うべきことを言うことは大切です。笑顔や優しい言葉かけから素敵な関係ができてくるわけです。
追記
御礼の中に質問がありまして、お答えする機能がないのでこちらで。
握らないというのは言葉の通りのことです。
例えば美味しそうなアイスが売っていたとします。食べたいなと思ったけど財布がない。その時、その事を忘れようとしたりいつまでもアイスのことを考えていたり、あの時財布を持ってくればよかった。などと思いを巡らせることは、全て手をつけること。握ることです。
そうした事を一切せず思いがモワッと湧いてきたそのままにしておくのです。人はすぐに出てきた事を取り上げて言語化したり理由を探ったり後悔してみたり、運が悪いとかいつも自分はこうなんだとかやるわけです。
そして握らないと言われれば忘れよう忘れようとその事を考え、余計に忘れられなくしてしまうのです。
そうした行いを一切しない本当にそのままです。思えるという働きのまま。
物を見るときと同じ、電車の車窓から見る景色は目に映るけれどもいちいち握らないその時っきり跡を残さず過ぎていく。後でその景色を取り上げてあーだこーだしても無意味でしょ。思いもおなじです。
理屈でなくやってみてください。体を使いよーく見てください。そうなってますから。それが禅の実践です。
質問者からのお礼
アドバイスありがとうございます。
何だか言葉がすっと心に入ってきました。口にしないと伝わらないという言葉、口下手な事は書いていないのにその通りです。何を言おうか考えて結局何も言えず、それなのに理解して欲しいなんておかしい事なのについ考えてしまいます。自分が人の考えを余計に考えすぎるからかもしれません。言わないと分からないのに、、、これから出会う人は過去の人ではない素直に気持ちを伝えるべき、色々考えてしまいそうですが、やってみたいと思います。
あと、手をつないでそっとしておくだけで消える握らないこと、というのはどうゆう感じでしょう?イマイチ理解出来てません。よければお返事お願いします。
お返事ありがとうございます。
後悔しない、手放そうともしない、考えない、、、
難しいですね。理由付けをしてしまうというのはそうですね。理由なんてなくて過ぎていく風景のように思う。
相談をして少しは不安が消えたと思いましたが結局いつものように思い出してしまいます。また最近は辛い事を思い出すとこんな気持ちにした相手が不幸になるよう考えてしまうようになりました。そうすると少し怒りが無くなるんです。結局、相手は私の事なんて何一つ考えず暮らしているのだろうし。
いつかはこんな自分が無くなるんでしょうか、それとも私は醜くなってしまうのでしょうか。
言われたことを実践出来るようやってみようと思います。ありがとうございました。