「楽しむ」ことが義務感に
好きなものを突き詰めて熱中したいのですが、「これを好きにならなきゃ」「これを楽しまなきゃ」という義務感が途中で湧いてきて、苦しくなってしまいます。
何かやってみて、辛いなと思ったときに色々調べてはみるのですが、「まずは楽しもう!」だとか、「技術より楽しむのが大事!」とたくさん出てきます。
それを見るたびに「ああ、楽しめない自分がいけないんだな」と自己嫌悪に陥ってしまうのです。
数年前、少し大変な公演の制作をしていて、プレッシャーを感じながらとても悩んでいた時に「せっかくだし楽しんでやってね!」「楽しくやるのが一番だよ」と何度も言われたことをきっかけに、この考えがこびりついて離れなくなってしまいました。
「楽しめないなら無理をするな」ということはよく言われますし、頭では何となくわかるのですが、誰かと楽しみを共有するために趣味のスキルアップをして楽しめるようになりたい、とも思います。
もっと本来の意味で趣味などを純粋に楽しめるように、この思考の壁を取り払いたいと思っています。
どのように考えを変えていけばいいのでしょうか、あるいはどういう姿勢で物事に向き合うよう心がけるのがよいのでしょうか。
どうかご教示いただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
楽しめないときは楽しめないでいい
こんにちは。
「好きなものを突き詰めて熱中したい」というお気持ちはよくわかります。
私は、サックスを初めて5年が経ちますが、ほぼ毎日練習しています。
私も「好きなものを突き詰めて熱中したい」性格で、とことんやりきりたいし、一生のライフワークにしたいくらいに大好きです。
ただ、そんな本来楽しむべきものが、楽しくないときもあります。
それは何だろうと思うと、上手く行かない時、単純に集中力が持たない時、他に興味が出てきた時、気持ちが乗らない時(考え事や思い悩みも含めて)です。
これまで幾度か挫折しかけたこともありますが、そんなときは無理矢理に気持ちを奮い立たせようとしないこと、これが肝心だと思い当たりました。つまり、「楽しむ」ことを心に強要しない、ということです。
人間は、不思議というか、自分で自分のことが良くわからないところがあって、時間が経つと自然とやる気が回復したり、気分が乗ってきたりします。それは、色々な人の影響、日々のいろいろな感慨も関係しているとは思うのですが、自然と「楽しむ」ことができるようになる、心の波のようなものがあると思っています。
このため、「楽しめない自分がいけない」と「自己嫌悪」を持つ必要はありません。そんなときは、ああ今はそんな気分じゃないんだな、ぐらいでいいと思います。
人によって「趣味」の楽しみ方はそれぞれです。
時々に、休み休み息長くやっていく人は、あまり挫折のような感情まで感じないのかもしれません。一方、あなたは「突き詰めて熱中したい」人のようですから、心を休めるときも趣味のうちと捉えて、よりコントロールする工夫が必要です。
楽しめるときは楽しむ。
楽しめないときは楽しめないでいい。
そう思います。