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自己卑下する癖が抜けません。

回答数回答 1
有り難し有り難し 13

閲覧下さいましてありがとうございます。
はじめてご相談差し上げます。

誰もが通られる多感な時期に
『私は生まれないほうが良かったのだ』と
感じる出来事がありました。

それからというもの
人生全体に関わるような大きな決断ほど、
その決断の対象である大切な人物に
物理的に最も負担のかからない方法を
自身のキャパを超えてまで選んでしまうので、
『なぜこの選択をするのか?』と
自分なりに掘り下げてみました。

すると
『私“なんか”にかける時間や労力が少なく
済むように』など、
頼ることを過剰に怖がっていると分かり、
その根底には
『本来、私は存在してはならないものなのだから、相手の期待(見返り)に沿えないなら、
頼ってはならない』
というような
存在否定とも取れる心理が
あると感じています。

軌道修正したいので数年前から
様々な心の持ちようを取り入れようと
試しているのですが、どうにも腑に落ちず
思い悩んでいます。

長年かけようやく数年前に根底まで
辿り着いたので、
自分の『心』を諦めずにいたいです。

全く以て未熟な限りですが、
ご教示賜りたく存じます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無条件、無償の心に出会えば

こんにちは。

文面からは、深い孤独が伺えます。
「私“なんか”」
「私は生まれないほうが良かった」
「本来、私は存在してはならないものなのだから、相手の期待(見返り)に沿えないなら、頼ってはならない」

お経には、独生独死という言葉があります。
人間は、独り生まれ、独り死にゆく。
だれも代わってくれない人生を、独りで生きていかねばならない。
独り、ということはとても心細い事実です。
時にその現実て耐え得ないこともある、と思います。

ただ、お経は人生って厳しいし、人間って寂しいね、ということを最終的に説いているのではありません。その一人ぼっちの人生に、共に歩んでくださる仏様がいることは心強いね、温かいねということを説こうとしています。

プロフィールも拝見しましたが、非常に辛い幼少期から現在に至っていることが伺えます。その過程の中で、無条件で、無償で、あなたのことが大切だ、大事に思っているよという心に出会えなかったのだと推測します。だから、「私“なんか”」という思いが強いのでしょう。

あなたは今後、独力で「様々な心の持ちようを取り入れ」る試みることもできるでしょう。ただ、私がお勧めしたいのは仏様のお心に出会うということです。慈悲の心に出会うことで、自分を卑下する必要はなくなります。仏様という安全基地を得た人は、人との適切な距離を取れるようになります。頼りすぎず、頼らなさすぎずというように。

仏様のお心に、南無阿彌陀佛に。
あなたの人生の拠り所になりたい、というお心に。

本願寺公式法話サイト
https://broadcast.hongwanji.or.jp/html/radio.html

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有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

釋 悠水 住職様

ご教示くださいまして
誠にありがとうございます。

拝読した際、なんとも言葉に表し難い
感覚がしました…。

文字ひとつ一つが身体の中に
流れ込んでくるような、温かい感じです。

情けなくも、真に理解できてはおりません…

ですので、まずは
手元にある写仏を模した塗り絵などで
『色を付ける』だけではなく(こう考えると
実に無礼なことをしてました)
仏様のお心を感じ取れるよう
心を込めて描いていこうと思っています。

ぜひ、法話のほうも聴かせていただきます。

私のようなものにも
寄り添って下さいますことに
感謝申し上げます。

それでは、失礼いたします。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ