無気力な私の消えたい人生にアドバイスを
はじめての質問です。よろしくお願いします。
私は今33歳ですが、幼少の頃から死にたい、消えて無になりたい気持ちがあり、その辛さとなんとか付き合って生きてきました。
これまでは、若さゆえの体力や大人になったら変わるかも知れない。自立したら変わるかもしれないという希望に縋って生きてきましたが、30歳を過ぎた今この辛さはどうしても消えることなく、死ぬまでうまく付き合っていくしかないのだと悟りました。
ただそれにも精神的な力、気力が必要です。
普通の人間は皆、良いこと、犯罪などの悪いことに限らずなぜそんなにいろいろなことをする気力、原動力があるのかと感心させられます。
私の気力の乏しいさについては、おそらく幼少の頃から母親の考えや、入信していたカルト宗教の教えなどで、その環境の厳しさや周りとのギャップに折り合いをつけるのに持っているエネルギーの大半を奪われてしまったこと。
もしくは心のエネルギーの源がほとんど壊されてしまったのだと思います。
ずっと枯れて壊れた井戸のようです。
ここ数年はいっそう気力が湧かず、何もしたくなく、何も感じたくない、消えてしまいたい日々が続いています。
夜、ベッドのなかで自分で首の動脈を締めて意識が遠のく時が、この先に無があることを感じられ唯一安心できます。
私の人生、この世に生まれてきてしまったことにこそ後悔がありますが(それが奇跡だろうと後悔です)根暗で友達もおらず、勉強もできず、コミュニケーションも苦手ですが、それでも引きこもらずになんとか社会に出て正社員として10年ちょっとですが仕事もしており、本当によくやったと思います。
ただこれをこれからもずっも続けていく力はありません。私は元々能力が低いのでこれで精一杯です。もう十分です。これで終わりでいいです。
人の平均寿命でいうと残りの人生が50年ほどありますが、もう悔いも気力もなく、これ以上生きていく理由がありません。
それでもこれから自然と死ぬまで生きていくと仮定したとき、このような人間に対して仏教やお坊様にはどのような答え、アドバイスがありますか?よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一人で生きる力をつけなくても、いろんな人の力や支えがあれば
プロフィールも読ませてもらいました。
ご家族もいらして、学生時代も過ごされ、今があり、それでもずっと一人きりのような孤独の中で生きてこられたように感じました。
気力がないというより、奪われてしまったのではないかなと。
あなたが、懸命に今を掴んで頑張ろうとしているのに、周りに気力を奪われてしまうかのように、何もする気になれなくなった。
もぅ〜いいやって。生きていても、ずっとこのままなのだろう〜それならそろそろ終わらせてもいいのかなって。
思い悩むなら、終わる方がいいように感じるのかなと。
それが、どれほどの虚無感や絶望なのだろうと思うと、涙が出ます。
あなたも、ずっと泣いてきたのではないかな。
本当は、誰かと繋がり、温度を感じながら、目の前の世界を変えたいのではないかしら。生きる目的を持ちたい、そう願う あなたもいるのではないかしら。
生まれてきたことが後悔だなんて、どれほどの悲しみや苦しみを抱えてきたのだろう。
もっと早く気づいてあげたかった、繋がっていきたかったわ。あなたは、ちゃんと頑張ってきたって、認めてあげたい。
自分一人で生きる力をつけなくても、いろんな人の力や支えが、人を生きさせていますよ。あなたが、そんな環境に身を置けたら、あなたは幸せを望んだらいい。これから先の人生に絶望しなくてもいいように。
まずは、ハスノハから繋がっていきませんか。
ここでは、誰もあなたを責めたりしないわ。
ようこそ〜ハスノハへ。
あなたの気持ちを、受け止めたいわ。
いろんな話をしましょう。
あなたの未来に色をつけていきましょう。
変えていきましょう。先で、あなたが笑顔でいてくださるように。
絞める手を、私は繋いでいますよ。
質問者からのお礼
ご返事ありがとうございます。
大変ありがたく読ませていただきました。
おっしゃるように家族や友人知人などいろんな人の力や支えがあれば
残りの人生も生きていけるかもと思います。
ただ私とそのように関わってくれる方は一人もおりません。
これからそのような関係を築く気力も人間関係を良好に保っていく能力もないためやはりこの世は私には合わないのだろうと改めて感じました。