罪
おそらく一番古い記憶です。幼稚園に入園する前の話です。
近所の公園に巣から落ちた雀のヒナがいて、父が拾って手当をしてしばらく家の鳥籠で飼っていました。ヒナは元気になり、時々かごから出して家の中で飛ぶ練習をしていました。私もその鳥のことが好きでよく話しかけていたと思います。ある日、両親が見ていない隙に、籠から出してぬいぐるみを抱きしめるようにしたら、死んでしまいました。その時は寝てしまったのだと思いました。
小学校のころの実験で、メダカを顕微鏡で見るということがありました。先生の話を聞いていなかった私は水槽に戻すときに失敗しメダカを死なせてしまいました。ほかのメダカに共食いされる様子を今も思い出します。
他にもセミの虫かごを自転車に入れてあちこち走り回っていたら、気づいたら死んでいたこともあります。
私のせいで意味のない死を遂げた生き物たちに罪の意識を感じます。
それなのに私は看護師を目指しています。もし人の命を自分の無知や不注意で奪ってしまえば許されることではありません。
失敗したらと考えると怖いです。
看護師になりたいのは、死なせない方法を学びたいからです。おそらく生き物の殺してしまったことへの罪の意識からきていると思います。死に最も近いところで、自分の生き物を殺してしまいやすいという不注意な弱点を克服したい気持ちがあります。
能力がないならしてはいけないことは世の中にたくさんあります。もう運転をすることはできないと感じた高齢者が免許を返納するなどです。
私は、自分が生き物を殺してしまいやすいという性質を持っているのに看護師になろうとしています。克服したいと願ってしまいます。
のんびりした性格なので焦ったときが本当に危ないです。どうすれば、ヒューマンエラーを確実に起こさないで済むでしょうか。ミスが許されない現場で働く覚悟がもてません。
自分だったらこんな看護師に面倒を見てもらいたいとおもいません。信用できないからです。
不注意を直したいです。
家を出るときなど、戸締りをして3度確認しても、外出中に不安になります。
また自分の思っていないところでミスが起きることもあり、不安が増しています
最悪の状況を常に想像できるようになるために知識も身に着けていきたいですがそれでも足りない気がします
不安です
迷い、不安、執着、見栄、根暗
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
実習での感触は?
そういう経験があったんですね。
まぁでも、誰にでも不注意はありますし、子供の頃の失敗もよくあります。
だから、過去の失敗についてはあまり気にしないでくださいね。
とは言っても、不安な気持ちはよくわかります。
でも、その不安は、気をつけて確認をするエネルギーにもなります。
まずは、授業や実習での感触が判断材料になります。
同じ環境で学んでいるクラスメイトと比べても、あなたは極端にミスが多いですか?
また、教師から注意されることも多いでしょうか?
そのあたりはあなたご自身で判断するしかありません。
人生は大小さまざまな決断の連続ですからね。
生きること死ぬことに向き合いながら
拝読させて頂きました。
読ませて頂いてあなたがいきものの生き死にをとても意識して生きてこられたのかと思います。巡り合わせなのか、無意識のうちにさまざまないきものの生きるとこ死んでいくことに引き寄せられていったのかとも思います。
ですからあなたがそのような仕事を目指そうと思ったのも自然な成り行きというか引き寄せられたのかと思います。
人はまちがいやミスは犯しますし、考え方を間違ったり判断ミスをするものです。ヒューマンエラーはあるのです。間違って命をあやめてしまうこともあるのです。知らず知らずに罪を犯してしまうこともあるのです。それは誰でもです。
そうした中でこれからどうすればいいのか、どうすれば目の前の命を生きながらえさせれる手助けをできるのか、どうすれば生きる方法を導き出せるのかを常に問いながら研鑽なさって下さいね。
あなたのことを必要としている方々がたくさんいらっしゃいます。あなたの支援を求めている人々はこれからもっと沢山生まれてくるでしょう。
あなたのサポートや援助や協力によって多くの方々が助かります様に、あなたが試行錯誤しながらも命に向き合い自分も他者も大切になさっていかれます様に、そしてあなた自身が生きる意味や目的を見出して充実した未来を歩んでいかれます様心より祈っています。
そしてあなたを心より応援しています。どうかあせらずに頑張って下さいね!
質問者からのお礼
ありがとうございます。
やってみてどうしてもダメならやめます。
殺してしまうことも覚悟しながらやっていこうと思います。
確かに、大なり小なりの選択の連続ですね
おかしてしまったことはもう取返しがつかないし、受け入れてすすむしかないなと思いました。
これからの人生で犯罪をおかしても、誰かを傷つけても結局は受け入れなければならないし、そんな失敗をおかさないように気を付けることはだいじだなとおもいました。
一度の過ちで人生を失うこともあるので、その選択が最善かどうか、自分はどうなってもいいので周りへの影響とかを考えて都度選択をしていきたいです。
今のところ、あまり迷惑をかけることはしていません。自分自身で帰着できる問題しか起きていません。
どうしても自分大事になって責任逃れしようとしてしまいますが、ミスを受け入れ自分を正していきたいです。自分の気持ちや願望よりも周りのことを大事にした選択をしようと思います。
いろいろ考えることができました。ありがとうございます!
Kousyo Kuuyo Azuma様
回答ありがとうございます。誰でもミスはあると言っていただけて安心しました。命の重みを常に理解してどうすればいいか考える、日々研鑽していきます。
ミスをしないように気を付ける、人間関係も気を付ける、口から出る言葉に気を付ける、気を付けなければならないことがたくさんあります。
思い込み、無知、不注意、恐ろしいですが、しっかり向き合っていきたいです
私みたいな凡人の人生も修行みたいだなと思いました。
謙虚でありたいです。自分を疑うことを忘れないようにしたいです。
確かに、いきものの生き死に、人との出会い別れ、に引き寄せられる部分があります。傲慢ですが、命とか人生というものを身近に感じたいのかもしれません。
hasunohaでほかの方の問答を見ると、苦労されている方もたくさんいらっしゃって、家族を亡くした人、犯罪を犯した人、幸せな人、私は経験不足で何も世の中の事を知らないのだと知りました。もっと外に出て人と関わって、お坊さんのように相手のことを想像できる人になりたいです
お坊さんとは違うアプローチになりますが、命や人生について身を持って学んでいきたいです。
何が正しいのか分からない世の中ですが、なにか自分なりの柔軟な答えが出せるように、日々試行錯誤、研鑽します
ありがとうございました。
楽になりました。