人が寄り着かない・・・嫌われる性質?
小さいころから私のまわりには人が寄り付きません。
私のことを知って嫌うならまだわかるのですが
私が店内に入ると人がさーっといなくなってしまったり
レジなどで行列でも私の後ろは誰も並びません。
(他の列はどんどん列が長くなっているのに・・)
見た目は本当に普通です。奇抜な恰好をしてるわけでもないです。
人相も悪くないと思っています。
何が悪いのか考えて優しいメイクをしてみたり色々努力しているつもりですが
うまくいきません。
産まれもって嫌われるオーラを放っているんだろうかと不安になります。
万人に好かれたいわけではありませんが、ここまでくると怖くなります。
どうすれば人が寄りやすくなりますでしょうか。
本当に悩んでおります。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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慈悲の瞑想をしてみるとどうでしょう
もし、心の奥底の波動が何となく周りに伝わって、それが周りにとって、何か好ましくないものだったとしたら、そういう現象もあるかもしれませんね。鳥を追い払うために人間には聞こえない超音波を流すとか、世間でもやっていますね。
何が問題か分からないので、とりあえず、自分の心だけはいつも清らかでいるようにしてみてはいかがでしょうか。
仏教で大事なものは智慧と慈悲の両輪というのですが、知恵は悟りで修行するしかありませんが、慈悲の気持ちをどう持てばよいかという点で、スリランカや東南アジアの仏教では、慈悲の瞑想とか慈悲の実践という、心に念じることをやっています。
何をどのように念じるかというと、例えば日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老が日本語にしておられます。まず、
私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとがかなえられますように
私に悟りの光が現れますように
と、言葉や心で唱えてから、私は幸せでありますように、と、じっと念じてみる。
次に、
私の親しい生命が幸せでありますように
私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい生命の願いごとがかなえられますように
私の親しい生命にも悟りの光が現れますように
と、同じようにやってみる。それから、
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとがかなえられますように
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
と、やってみる。この後、私の嫌いな生命と私を嫌っている生命に対しても同じようにやってみて、最後にもう一度、生きとし生けるものが幸せでありますように、と念じます。
慈悲の瞑想の面白いところは、世界中のどの生命が自分を嫌うとしても、自分だけはすべての生命の幸福を願って生きていますよ、と、自分の心の中で宣言することです。他の生命のことを思う慈悲さえも、自分の心を良い方に変えて成長するための修行であり、自分の悟りへの道の一つなのです。
暇さえあれば、最も大事なフレーズ「生きとし生けるものが幸せでありますように」だけでよいので、心の中で繰り返し念じてみると良いと思います。そのうち、自分の後ろにも列ができるようになったら、ああ、効果があるのだ、と納得してください。
質問者からのお礼
とても丁寧なお返事ありがとうございました。
>>自分の心だけはいつも清らかで・・
確かに表には出してないつもりだったのですが
オーラにでてしまっているのかもしれませんね。
「生きとし生けるものが幸せでありますように」を通勤時間に唱えるようにしてみることにします!
お返事をよんでなんだか落ち着けました。ありがとうございます。