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自分のこれからに悩んでいます。

回答数回答 1
有り難し有り難し 9

私には3歳年上の好きな人がいました。ある日その人は服薬自殺を行い未遂でしたがその人との接し方がわからずひどいことを言ってしまいました。
そのあとぐらいから私は眠りずらくなり睡眠導入剤を飲まないと寝れなくなりました。
またそれが原因かはわかりませんが、他人(家族は除く)が怖くなり何を信じたらいいのかもわからなくなりました。
時には死にたいと思う時もあります。
私は一体これからどう生きていけばいいのですか?
自分がどんどん空っぽになっていく感じがしてとても怖いんです。
どうしたら変わりますか?どうしたら前のように笑いあって話せるようになりますか


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人を傷付けず生きることはできない

なぜならば人間は不完全だからです。また相手も不完全だからあなたを傷付けます。
人間である以上は傷付け傷付くことは避けられないのです。
そこでいかに人を許し自分を許せるかが大切になってきます。とても難しいことです。しかし、それこそが「人はなぜ生きるのか?」という問いの答えなのです。
決して幸せになることが人生の目的ではありません。知恵を絞り困難を乗り越えることが本当の目的でありその先にこそ本物の幸せがあるのです。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

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