hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

推しが心配になってしまいます

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

突然ですが、最近推しという存在ができました。
彼はデビューしてからまだ1ヶ月ほどの配信者です。
彼はとても魅力的で、人気は順調に高まっています。

ですが、彼はどこか自己肯定感が低いように感じられるのです。
「1ヶ月くらい経ったら皆自分のことを忘れちゃうんだろうと思ってた。最初は面白いと思ってたけど一発屋だよね、みたいな感じで」というようなことを稀にポツリと言うのです。
どうも自分自身のことを、少し遊んだらその辺に打ち捨てられるおもちゃくらいに思っているような印象があるのです。

加えて彼は物事を0か100かで考えてしまう癖があるらしく、例え99褒められていようが1文句が来たらそればかりに囚われてしまうようです(嫌なことはハッキリ嫌だと言う、ということでもあるのですが)

他にも色々と精神的にどこか不安定なのだろうなという要素はあるのですが、かなり長くなってしまいますのでこの辺にしておきます。

そんな訳で、私はすっかり彼のことが心配になってしまったのです。
配信者としての活動が彼にとって癒しになっているのなら良いのですが、彼は人を楽しませるということに全力を出し過ぎて、終わった後に疲れ切って寝込むことが常なようです。

せめて多少の金銭で応援してあげたいと思っても、依存したら大変だから無闇に投げ銭をしないように、と彼には常々言われていますので投げ銭をするという行為は彼の信用を得るには足りないのかもしれません。

もしかしたら彼は視聴者を信用し切っていないのかもしれません。が、こんなことを言っていたら私も彼を信用できていないことになってしまいます。

彼を安心させてあげられたら良いのですが、きっとこれも私のそういうことが出来るという驕り高ぶりなのだと思います。私は無力です。

彼にこれこれこういう行動して欲しいということではありません。私に他人をどうこう出来るような権限はありません。

ただ、私は彼をどういう心構えで視聴していけば良いのでしょうか?

どうかご返答よろしくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

第五不胡酒戒

こんにちは。ハスノハの端の端のすみっコぐらし。崖っぷちギリギリあと一歩でマッサカサマ。有り難しボタンも押すなよ推すなよ☆「ヤメテトメテヤメテトメテ丹下」です。
仏教の精神衛生上の戒めに「不胡酒戒(ふこしゅかい)」というものがありますだ。
これはそのままどストートにいえば「酒におぼれてなりわいをおこたることのないように」というものですが、ここでいう酒とはなにもお酒のことばかりではニャイ😼
ひとを酔わせる、陶酔させるもの、依存させるものはみなドラッグでござる。
当然、お酒も、ネット依存も、アイドルに心奪われることも偏狭思想もみんな依存性があるものです。
「推し」も実は「推し」ているのではなく「惹かれ」ているでござろう。
適度な距離感、ソーシャルディスタンス、大事でござる。
依存の何がいけないのか。
現実のたった今、ここ、そこ、目の前を失わせるからでござる。
そして、いつもそのことが気にかかり、まさしく今のあなたの状態になってしまう。まるで国宝、阿修羅像のような\(゜ロ\)(/ロ゜)/な精神の状態になってしまう。
むずかしい分野ではたとえ仏教を学ぶ上でその教えに救いがない邪教なのにもかかわらず、その教えや教義に依存して手放すことができないまま正覚・明晰な頭脳になっていない状態も一種の仏教依存でござる。にんにん。🍥

昔々インドの山奥にイケメン僧侶のアナンダ尊者という方がおられましてナ。
托鉢に行くだけでモテモテ様。女子たちがいつも追っかけてくるので困ったアナンダに仏は『楞厳経』を授けて読むように、と。「オンオノリービラホジャラトニーホドホドニーホジャラーホニハン…ぶつぶつ…、」(*´Д`)「きゃー、アナンダ様ーきゃー!」「ホジャラーホニハン…ホドホドニー…」(*´Д`)「アナンダさまー💛」「(-_-;)…ぶつぶつ」「…💔」そっちに夢中になってみてもくれないアナンダに追っかけ女子も相手にせんようになったとか、冷めたとか…。
「わたしに関われることがあると関わりたくなる心理が生ずる。」これを何度も念じてみることですだ。
人は知らずの内に、それ、その事、その人に対して「わがこと」のように取り込んでしまっているのでしょう。同化&依存。
お酒、ドラッグ、アイドル、YOUTUBER、別に悪いもの、いけないものではありませんが、適度な距離感と適切な関りが大事です。ホドホドニ―。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

過ぎたるは及ばざるがごとし

私は「ただの母性本能かな?」と感じました。
あと、貴女はその方の存在を通して、自分の心の寂しい部分を埋めようとしているのかも知れませんね。無意識に。
一過性のものだと願います。あとは先の丹下師によるご回答の如く、ほどほどに。

距離感を保っていきましょう。
それは如何なる人間関係の状況に於いても同じです。2〜3歩引いて円滑に。

{{count}}
有り難し
おきもち

現代は実に「背負い込んでる」人が多いと思う。 別に自分が背負い込まなくても良いようなものまでも、率先して背負い込んでる。 で、結局悩んでる。自らの意志で背負い込んだのにね。 そこのあなた、身に覚えありでしょう? ほら、そうやって決めつけちゃうの、やめませんか? 立ち止まるのが早すぎやしませんか? 40代半ば愚僧の超個人的なボヤキだと思ってくだされば幸いです。 私の回答が誰かの人生の潤滑油になればうれしいな。 常にいろいろ勉強中!死ぬまで修行中!ここhasunohaも道場のひとつです! お付き合いのほど、よろしくお願いいたしますm(__)m

質問者からのお礼

ご返答ありがとうございます
彼のことが心配で何も手につかない、という程ではなかったのですが、やはり私は少なからず我が事のように考えてしまっていたのだと思います
大変失礼いたしました

二通もご返答頂けてありがたい限りです
好きだなぁと思っていた芸能人の方が最近亡くなってしまい、その喪失感を今まで誤魔化し誤魔化し生きていたのでその寂しさを埋めようとしてしまっていたのかもしれません…申し訳ないことです…

煩悩スッキリコラムまとめ