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人間不信(?)でありながら、孤独が辛い

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有り難し有り難し 9

私が生きていて辛く苦しいと感じてしまう原因を考えてみたときに、「人間不信(?)であるにも関わらず孤独の寂しさは耐え難いと感じてしまう、矛盾した精神構造」が原因の1つとしてあるのではないかと思いました。

私は過去の経験からも、「人の心」をイマイチ信じることができません。

例えばですが、
・夜眠る前の私は、明日は早起きしてランニングをしようと思っていたのに、朝に目が覚めた私は時間ギリギリまで二度寝をしようと思いました。

・デートの帰り道、彼女は私に「心からあなたのことを愛してる」といいましたが、翌日彼女は他の男に抱かれて私のことなどどうでもよくなりました。

・私が幼い頃、母は私に「自慢の息子だ」と言いましたが、「出来の悪い息子で誰に似たのか」と祖母に愚痴をこぼしていたのを私は知っています。

私が思うに、それらは矛盾していますがどちらかが嘘だということではなく、全て、その時々の紛れもない「本心」なのだと思います。

私は、「その瞬間」だけしか人の言葉や心を信じることができません。

仏教には「諸行無常」という考え方があるかと思いますが、人の心もそうであるならば、どうすればそのようなものを信じることができるのでしょうか。

一方で私は、そのような刹那的な考え方に強く不安を感じます。心細いと感じます。
心から、人を信じたり愛したり、人に信じられたり愛されたりしたいのです。
いわゆる、「人の絆」を感じた瞬間に、これがずっと不変で揺るぎのないものであればいいのにと、心のどこかで願わずにいられないのです。



話を先へ進めると、この問題を解決するには2つの道があるかと思われます。

1、人間不信(?)から脱却し、人ときちんとした信頼関係を築けるように考え方を変える。

2、他人への執着を手放し、孤独であることが苦痛だと感じないように考え方を変える。

ちなみに、どちらもその方法はわかりませんが…。

若しくは、仏教の教えは「一切皆苦」でしょうか。辛く苦しいことを自然なこととして受け入れるべきでしょうか。

以上、とりとめのない話かとは思いますが、ここまで読んでいただき何か思うところがあればご教示頂ければ幸いです。

2022年2月2日 17:10

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まず、仏教でいう“苦”とは“ままならない”という意味であり、“辛い・苦しい”とは似て非なる意味です。
“ままならない”ことを“苦しい”と感じる場合もあれば、そうでない場合もあります。
そうでない場合を増やすために、『執着を捨てましょう』と仏教は教えるのですね。
相談文から読み取れる理解とは、近いようで少し違いますので、これをなぞってみましょう。

そして、人の心が移り変わるのはその通りです。
移り変わるからこそ、悲しみからも立ち直れる、という一面があります。
しかし、一方で移り変わるのは感情だけで、実はその“仕組み”は変わらないのです。

自動販売機、というシステムがあります。
お金を入れてウーロン茶のボタンを押すと、ウーロン茶が出ます。
ただし、それは一度だけで出続けることはありませんよね。

人の気持ちも同じです。
時間をかけて、愛情を注げば笑顔がかえってくるでしょう。
もちろん、それはその時だけで感情が続くということではありません。

ただ、一度買った自動販売機の場所・品ぞろえ・価格を知り、次に購入することが容易になるように、相手の心の仕組みに気づける、ということが『関係を深める』ということなのです。

“信”という字は、“行”と対となります。
自分の成した“行い”に応じて返ってくる反応を“信じる”わけですね。
これをことわざで“人事を尽くして天命を待つ”というのです。
良い“信”
良い“行”
どちらにも、良い知恵・知識が必要になります。
人間関係における良い知識とは、その人の心のことです。

何をしたら喜ぶのか、
何をしたら悲しむのか
何に怒り、何を尊ぶのか

それを知り、その人にとって良い行いを心がけましょう。
そして、裏切られたのであれば、なぜ裏切られたのかを考えてみるのもよいでしょう。
考えてみれば、その人の心の仕組み上では当たり前の反応でしかなかったと気づくでしょう。

2022年2月2日 20:54
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日蓮宗の僧侶、啓誠(けいじょう)と申します。 修行に失敗し、一度は腐...
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質問者からのお礼

けいじょう 様

ご回答ありがとうございます。
まずは私が「一切皆苦」という考え方について誤った解釈をしていることへのご指摘についてですが、Wikipediaの一切皆苦のページを読んだだけで安易に解釈しすぎたと思いますので今後理解を深めたいと思います。

そして、けいじょう様のお話は、「他人の心」とは「こちらの行いに対する反応」であり、それは観察、分析することで理解していくことのできる「仕組み」「システム」である、ひいては、その仕組みをどれだけ深く理解できているかが「人間関係の深さ」である、ということを言われているかと思います。

非常にロジカルというか、正直なところ今の私には人の心をそこまでシステマチックなものであると考えるのは難しいという感想を抱いてしまいました。
もっと非合理的でカオスなもののような気がするのです。

しかし、仕組み、システムという側面からの視点を放棄してはいけないとも思いました。

頂いた回答に対して私の理解が及んでいないところも多くあるかと思いますので、じっくり考えさせていただきたいと思います。

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