依存すると助けを求めるの違い
タイトルのままの相談になります。私は恋人(たまに家族、友人にも)に依存してしまう傾向があると思います。
相手のSNSなどを見て、ログイン状況を確認して、なぜ自分には返信がないのか気になったり、自分が辛い時に相手の状況考えずに辛い話をしたり。恋人なら何でも受け止めてもらえるのは当たり前でしょ、と考えたり。そして、受け止めてもらえないと裏切られたような気分になります。昔付き合っていた人のSNSにメンヘラと呟かれたこともあります(本人は私が気付いてないと思ってます)
去年、強くなろうと決意し、ひとりになり、辛い気持ちを抱え込もうと思いました。自分に厳しいので、今までは相手からの優しさを求めていたのだと思います。だから、辛い時はまずは自分に優しくしようと努めましたが、半年ほど前から不眠症になり、体の不調が気持ちの不調に変わり、誰かにSOSを出したいけど、どうやって出せばいいかわからなくなりました。
辛いんだ、と誰かに言うのは相手も困るかなと思って、頼るのと依存するのとわからなくなりました。教えていただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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関係と感情のどちらが先に来るか
さて、少し耳の痛い話をせねばならないかもしれません。
もしお辛い気持ちになりましたら申し訳ありません。
関係と感情のどちらを先に置くか。
これは重要な問題です。
恋人にせよ、友人にせよ、家族にせよ、正常な関係は相手を“好きだ”という気持ちが先に立ち、“好きだから”と関係性が付いてきます。
この場合、関係する相手に『何が出来るか』を考えるでしょう。“好き”なのですから、当たり前です。
助けを求めるときも、相手のことが見えていますから『○○して助けてほしい』と具体論が湧くでしょう。
しかし、あなたが言うように“恋人だから”、“友人だから”と関係性を先に立てて頼れば、それは依存になります。
『恋人なんだから○○してほしい』と言えば、それは自分の脳内にしかいない“私の考えた最強の恋人”と比べた結果です。そんなものを満たす人間は存在せず、両者に不満ばかりが溜まるでしょう。
あなたが気にしているのは感情のようでいて、立場が先んじています。
“ログインしている”“恋人なら”と依存を心配し、“ひとりになり”とまず立場・関係を変えることで状況を変化させようとしています。
しかし、あなたが変えるべきは
“自分が、そして相手は本当はどう思っているのか”
という感情の部分を感知する能力です。
想いに振り回されない地に足つけて
あなたがそのようになるのは、大切にしているものが「あなたの都合」だからです。
あなたの気持ち思いを大切にしすぎて、その気持ちを満足させることが幸せだと思い込んでいるところに原因があります。
まず、人生は思い通りにならないものである事を知らないといけません。
今わたしが、二万円欲しいと願ってもどうにもなりませんしそれを思い通りにしようとすると苦しみが伴うわけです。
そして、幸せとは今あなたがいるここにあるのです。思い通りにはならないけど、何不足ない事実という宝が目の前にある、そしてそれは、気にいるとか気に入らないとか関係なく、握ることはできないけれど常に真新しい事実を示しているのです。
そんな当たり前の宝物があることを幸せというのです。
思いを満足させようとすることは貪りです。あまりにも妄想である記憶や想像に偏った生き方をしているから辛くなるのです。今目の前にある事実を見ることです。視点が変わるだけで人生変わりますよ。
質問者からのお礼
邦元様
ご回答ありがとうございます。私は自分の思い通りにならないことをなかなか受け入れることができない質だと再度理解しました。受け入れる練習を少しずつしたいと思います。新しい疑問が出てきてしまったのですが、人は自分の思いを満足させるために「頑張る」ということをすると思います。それでは皆さんは最悪自分の思い通りにならないかもしれないけれど頑張る、という気持ちで生きているのでしょうか。私はできるだけ思い通りになるために頑張る、という気持ちなのでこれがいけないのでしょうか。
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けいじょう様
ご回答ありがとうございます。私は現在、立場・状況を変えただけで、問題は実は自分や相手の感情を考えることが不足していたのは理解できたのですが、それでは結局関係の近い人にどう頼るということをすればいいのでしょうか。