本当にあった事なのに
なかった事にされました
恨みが消えません
のうのうと生きてる事が許せません
この気持ちがなかったら
こんな事がなければ
私は生きていけるのに
天罰なんて無いんでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ここにいらっしゃる回答僧の方々は皆さん仏教徒なので“自業自得”を基礎にしていらっしゃるでしょう。
なので“天罰”という考え方はあまり取り入れられないかな、と思っています。
罰とは人が下すものです。
発覚し、刑に処されたものが一括払い、
隠蔽され続ける罪は“罪悪感”という分割払いというだけです。
そして、罪を償える最低限の条件が、“罪を犯したと本人が理解するだけの知能がある”ことが前提です。
犬が窃盗を理解できないようなものです。
自分の罪を理解できない者は獣と同じなのです。
獣に襲われたときは災害と同じように諦めるしか無いので、自衛が求められるのですね。
地震や台風を恨んでも無益なのと同じように、獣を恨むのも無益です。
ただ、獣には強い力で調教が出来る可能性があります。
それが罰です。これは人の手で行わなければなりません。
天が代わりに行ってくれることなどないのです。
災害だと扱い、身を引くか
獣だと扱い、罰するか
それが人として生きる者の選択になります。
辛い選択だとは思いますが、後悔なきように
拝読させて頂きました。
あなたが本当にあったことをなかったことにされて大変うらんでおられることを読ませて頂きました。以前お聞かせ頂いたご質問のことでもあるのかと想像しております、或いはまた別のことでも人から否定されてしまったのかと想像しております。
詳細なことやあったそのことの経緯についてはわからないですけれども、あなたがその様なことがあってとても傷ついておられることやもしかしたら怒りや憎しみやうらみが心の中をうずまいておられるのかと思っております。全てはわからないですけれども、あなたのお気持ちを心よりお察しします。
もしも宜しければ例えばオンライン等にてあなたのその思いをじっくりとお聞かせ頂けませんでしょうか?あなた自身のお気持ちもプライバシーもありますから可能な範囲にてお聞かせ頂ければと思います。
当然ながらあなたの秘密や個人情報は守られます。
あなたの心の中にはそのことがしっかりと残っている以上決してなかったことにはならないでしょう。
社会の中ではなかったことにしてしまおうということもありますけれども、だからと言って決してなかったことにはなりません。どんなになかったこととして処理しようとしたり、証拠を隠滅したとしても決してなかったことにはならないです。
原因があれば必ずその過程があり結果がありますからね。天網恢恢疎にして漏らさず、という言葉がありますが、どの様な些細なことであったとしてもなかったことにはならずに必ず漏れてしまうことはないということを言っております。繰り返しになりますが、あったことはなかったことには決してならないのです。必ずあったことの影響はあるのです。
できればあなたのお気持ちも含めて教えて下さいね。そしてあなた自身のことを大切になさって下さいね。あなたは大切な人なのです。
あなたを心よりお待ちしております。
二人のお坊さん
有難う御座います