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母が他界してから

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昨年の年末に大好きだった母が病気が原因で他界しました。

複数の病気を患いアルツハイマーもありました。
糖尿病で数年でふくよかだった母がガリガリになってしまい別人のようになり私は正直他人に接している気になりました。
しかし自宅で世話をしたいと言う父の気持ちもあり他界数ヶ月前まで自宅で介護をしていました。
昼間は父が介護で夕方からは私が介護という形でしたが、食べたのに食べていないと言ったりトイレに何分も入っていたりちょって歩いただけで大袈裟に疲れたと言い出したりと、だんだんとストレスも溜まり冷たくしてしまった事もありました。

元気だった頃は年に1回私の子供達も連れて一緒に旅行をしたりボーナスが入ったら好きな服をいっぱい買ってあげました。離婚して戻ってきた時も嫌な顔せずに迎え入れてくれて、それからは父と母に旅行をプレゼントしたり思い出に残る事、感謝の気持ちをいっぱい伝えたつもりでしたがアルツハイマーになり生活が狂ってしまい辛い事や悲しい事がいっぱいありました。 

数歩歩いて疲れたと言う原因は肺気腫だったからだそうですが私は母の苦しみを知らずに怒ったりしてしまいました。
母が亡くなった今何故あんな事をしてしまったのか、母は幸せだったのか、何故もっと優しくしてあげられなかったのかと後悔しかありません。

亡くなる夜に施設から連絡があり『到着する頃にはもしかすると』と言われていましたが20分ほどかかる施設だったので急いで向かい、到着した時に施設の方が『お母さん来るのを待ってられましたよ』と、かなり危ない状態だったのに私の後に父が到着するまでの40分ほどは頑張ってくれて父が到着後5分ほどで息を引き取りました。
私や父の事を待っていてくれたんでしょうか?
私は母にとって良い娘だったのでしょうか?
未だに仏壇の前で母に語りかけますが夢にも出てきてくれません。

悲しみは癒えることはあるんでしょうか?

2022年2月19日 20:52

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

百点満点の介護や看取りをできる人はいません

私にも似たような思い出がたくさんあり、思い出して辛くなっています。それよりなによりお母さまがお亡くなりになりましたこと、心からお見舞い申し上げます。

私の痛恨事はたくさんあるのですが、義理の父である前住職の看取りについて述べてみます。前住職は、癌になり胃を全適しました。しばらくは抗がん剤で抑えていましたが、だんだん進行していきその年の夏ごろに亡くなるでしょうとかかりつけ医がいいました。私は、IVH(中心静脈に点滴をいれ、水分と栄養を補給)をすれば延命できるのではないかと言い、私の意見が容れられて、結果として三か月くらい延命でき11月に亡くなりました。

前住職はたしかに生きている時間を延長できましたが、その見返りに多くの苦痛を与えてしまいました。長く生きるとは長く苦しむことでもあったのです。私は前住職の死後、そのことを悔やんで不要なことを仕出かしたのではないかと長く苦しみました。こんなふうに文字にし言葉化できるようになるまでに10年くらいはかかったと記憶します。

あるとき、辛さに耐えられなくなり、実家の兄に打ち明けました。すると兄は、自分も田舎の家の長男として、両親、祖母のターミナル期に幾度も苦渋の選択を迫られた。快方に向かうような選択ではなく、どちらを選んでもつらい選択ばかりだった。でも、まぁ、お宅の前住職さんなら、分かってくれてるんやないかなぁ、と言ってくれて、少し救われた気がしました。

たぶんお母さんも分かってくれていて、あなたに感謝してくださっています。あなたのような娘さんがいてくれて、本当によかった、幸せだったと喜んでくれていますよ。大丈夫です。安心してください。あなたは間違っていません。

2022年2月19日 21:41
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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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お母様に心からお伝えなさって下さい

拝読させて頂きました。
大切なお母様がお亡くなりになりあなたは深く悲しみ様々な後悔が心の中にあふれておられるのかと思います。あなたのお気持ちを心よりお察しします。

お母様はあなたやご家族の皆様と一緒にその人生を心豊かに一生懸命に生き抜かれたのです。病を抱えながらもあなたやご家族の皆様とお互いを思いやり励まし合いながら仲良くその人生を幸せに生き抜かれて、与えられた天寿を全うなさっていかれたのかと思います。
お亡くなりになられる時もきっとあなたやお父様や皆様をお待ちなさっておられたのでしょうね、そして皆様に見送られながら安らかに天寿を全うなさっていかれたのかと思います。きっとお母様はあなたや皆様に今まで本当に有難うと感謝なさっておられてお待ちなさっていたのかもしれませんね。

お母様が心から安らかになります様切にお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ

お母様は速やかに仏様に導かれ、先に往かれた親しい方々やご先祖様方が優しくお母様をお迎えなさって下さいます。お母様は一切の迷いや苦しみや痛みからも救われて心から安らかになるでしょう。親しい方々やご先祖様方と一緒に何の憂いもなく円満にご成仏なさっていかれます。そしてこれからもあなたや皆様をいつも優しくお見守りなさって下さいます。
お母様と皆様とのご縁はこれからもずっと永遠に続いていくのですからね。

あなたのその悲しみや後悔のお気持ちは消えないでしょう。どうかお母様が心安らかになります様に心からお祈りなさって下さいね。そしてあなたのその思いをありのまま全て心からお母様にお伝えなさって下さい。
お母様はあなたの思いを全て優しく受けとめて下さいます。そしてあなたに寄り添いなぐさめて下さいます。あなたも皆様もこれからもお母様に支えられて優しく受けとめられながら生きていくのですからね。

いつの日かあなたやご家族の皆様がその天寿を全うなさる時が来るでしょう。その時も必ず仏様がお導きなさって下さり、お母様がご先祖様方と一緒に優しくお迎えにいらして下さいます。そして喜び合い分かち合うことでしょう。共に円満にご成仏なさることでしょう。

あなたやご家族の皆様がこれからもお母様とのご縁を大切になさり、心健やかにご成長なさっていかれ、心から仲良く幸せに生き抜いていかれます様にと切にお母様に祈ってます。至心合掌

2022年2月20日 11:40
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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

ありがとうございます

辛い気持ちを誰にも言えなくて話を聞いていただき気持ちが落ち着きました

母の娘に生まれて良かったんだと思いました。

あたたかいお言葉ありがとうございました

「親・家族・恋人・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

父の死に激しい後悔

 こんにちは。日に日に積もる気持ちにどうしようもなく、相談させて頂きます。  父の死に後悔ばかりです。2~3年前から股関節骨折を機会に父の持病が悪化し、病院から老健の行ったり来たりで、父は家に帰りたいとか死にたいとか言うようになりました。  もともと父と私は昔から喧嘩ばかりしていて、口も聞かない時期が沢山ありました。  そしていたずら電話を何度もするようになり、電話に出ても何も言わないでこちらの声を聞いたりしてましたが、私はキレてきつい言葉で罵りました。言い過ぎたので悪いと思い病院に顔を出しましたが、父は普通に話してくれました。  でも父との最後の会話は 父『家に帰りたい』 私『痰を常に取らないといけないから仕事あるから無理』 父『私の心配はしなくてもいいから帰りたい』 私『いい加減にして!お父さんの心配なんか一つもしてない。私は自分の仕事と将来のだけを心配をしてる。絶対に嫌』 父『あーもうーいい加減にしろ』 父『もうお前に頼まん』  絶望のような声で言ってました。これで二週間後に危篤になり、息を引き取りました。  またきつく怒鳴ったのでそろそろ顔見せに行こうかと思いながらも、また家に帰りたいと言われたらどうしようと思って、顔を出すのを控えてました。  危篤の父に何度も謝ろうと思っだけど『介護の何一つもしていない自分が言える言葉か』と思いなぜかどうしても言えませんでした。  今、後悔しかないです。本当に自分の愚かさが嫌になります。今ごめんねと謝っても後悔ばかりです。父はどんな思いでイタズラ電話をしてきたのか。どんな思いで帰りたいと言ったのか。  私が有給をとり自宅介護を一週間でもした方が良かったのに、私は汚い言葉で罵る事しかしなかった。。。もっと言い方はあっただろうに。。ただ怒るだけの私  お葬式で家に遺体を運んだ時に、亡くなってからでしか家に帰れなかった、父のその姿が頭から離れません。  日に日に思いが強くなり、激しい後悔です。この気持ちにどう折り合いをつけたらいいでしょうか。ご教授お願い致します。

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弟の死を未だに受け入れられないです。

2022年1月に、4つ下の弟を自死で亡くしました。 亡くなってから気づくもので、同じ年の8月ごろから自ら死を選ぼうとしていたようでヘリウムガスを購入していました。 私は結婚して家を出ているので、祖父母と両親と5人暮らしです。普通の家庭で、何不自由なく育ったと私自身は思っています。 弟とは仲が良く、結婚して家を出てからも二人で飲みに行ったり両親を連れて出掛けたり、私の家族とみんなで旅行に行ったりしていました。なぜ死を選ぶのかが、正直わからない程です。 弟が亡くなってから、弟の友人に聞いたのですが中学生ごろから「そんなに、長生きはしたくない。」大人になってからも、「どうせいつか人は死ぬんだから自分で自分が死ぬ年齢は決めたい。」などといっていたようです。今思い返せば、弟が20歳になった時に私と母に「20歳まで生きるはずじゃなかったんだけどなー。笑」と言ってきたことがあります。 未だに、弟がいないという現実を受け入れたくないので考えないようにしている自分がいて時間が経てば経つほど苦しいです。 自死を選んで後悔してないのか。気になって気になって絶対にわからないのに答えがほしいです。 出棺のときに、霊柩車が実家に向かう途中にエンジントラブルで3.40分遅れたり 告別式で拝んで頂いているときに私の主人の数珠が突然弾けて数珠がすごい勢いで散らばったりハプニング続きで、葬儀会社の方もこんなこと初めてだと驚いていました。その出来事がなおさら、やっぱり死ななければよかったと思って後悔しているのではないかと思えてなりません。 何か、いいお話が聞ければと思ってこちらに書きました。よろしくお願いします。

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夫と死別。ずっと苦しいままです。

2週間前に夫を会社の事故で亡くし死別しました。 現在2歳児の息子がいて2人目妊娠中36wの妊婦です。 これから先、どうしようと途方に暮れていましたが 義実家が受け入れてくれお世話になる事になりました。 義両親はとてもよくしてくれ関係もすごく良好です。 夫が亡くなった日の翌朝、夫のスマホから 連絡を取ったりしないといけない用事等があり パスワードを入力し開くと何通か通知が来ており 急ぎかな?と思い開きました。 夫はTwitter、Instagramで裏アカを作成し、 その他出会えるアプリに登録しており 何人もの人と不貞行為におよんでいました。 亡くなった翌朝に会う約束をしてる人もいました。 私には残業があると言っていたので すごくショックを受けました。 また、不貞行為を始めたのは私の2人目の妊娠がわかった時位からでした… 私がつわりが酷くて保育の送り迎え往復4、50分かかってつらかった時も 夫は3交替で私はワンオペ、家事育児仕事の両立がきつくて泣いていた時も 早出や遅出や会議や出張や飲み会があると ずっと嘘ついて女性と会ってたやり取りが見つかり その日からずっとふとした瞬間苦しくなります。 私と息子の存在は夫にとって何だったのかな? 亡くなった後に久しぶりに乗った夫の車から息子の チャイルドシートが外されトランクに隠されていて あー夫は他の女性をこの車に乗せて 独身であることにしてたんだなあと思い、 リュックサックからバイアグラも見つかり虚しくなりました。 夫が亡くならなかったら私は一度も夫を 疑いもしなかったし気付かないままだったと思います。 夫の死はとても悲しく、だけど呆れや虚しさや 腹立たしい気持ちもあり今でも涙が出ます。 夫は最期まで私や息子を愛してくれていたのでしょうか… ずっと苦しい気持ちが消えません。 どうしたらこの気持ちが消えてくれるのでしょうか。

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昨年末に夫が亡くなりました。 結婚30年目の事でした。一度離婚して別居した事があったのですが、その後思うところあり再婚し、私は別居先で仕事を始めてしまったので、週末婚の状態で過ごしていました。 週末には必ず一緒に過ごし、買い物したり、ご飯食べに行ったり。 夏には私と一緒に別居している娘達と旅行に行っていました。 しかし、昨年は年頭から私たちがコロナに次々と感染し、更には娘が職場で怪我をする、更年期の私は外出もままならない、となり、一度も会いに行けないまま、年の瀬を迎えてしまいました。 しかし、年末恒例でいつも私が年越しの料理を大量に作って持っていくのが定番でしたのでそろそろ、と思っていた時に、同居していた息子から『父が死んでいた』と連絡が来たのです。 それからの事はあまりよく覚えていないのですが、自宅で亡くなったので警察に遺体を持っていかれ、家では会えなかった事、身内が殆どいなくなっていたので子供達だけで火葬した事、それまで全く泣かなかったのを覚えています。 ですが、今年になってからの半年は相続関係、遺産分割などで段々と主人がいないんだと思うと泣く、と言うより胸を掻きむしりたいくらい自分が悪女になったようでどうしたらいいのかわかりません。 主人はどんなに寂しかったろう、たった1人で冷たい部屋で最後にどんな思いで逝ってしまったのだろうと思ってしまいます。 私はどれほど酷い妻だったのだ、と泣く資格なんてお前にあるのか、と言われている気がするのです。今更遅いのはわかっています。でも、どうしたら主人に詫びる事ができるのでしょう。納骨もしなくちゃならないのはわかっていますがまだ、離れたくなくて自宅においたままです。生前から散骨希望ではあったけど、そうしたらもう本当に主人はいなくなってしまう。 一体どうしたらいいのかわからないのです。 夢にでも出てきて私をとことん罵ってくれればいいと思うのにたまに夢に出てくる主人は穏やかに笑って昔みたいに一緒に料理したり、キャンプしたりなのです。 亡くなった人と会話ができたらいいのに、と思うばかりで胸が苦しくてたまりません。

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