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生きるのがとても面倒です

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有り難し有り難し 19

とにもかくにも、何をするにも面倒なのです。
なぜ、生きなければならないのでしょうか?

生命活動を維持するためのありとあらゆる欲望が鬱陶しく感じます。

私は幸せ者で、浪人することなく大学に行かせてもらい、留年もせず、
就職し、役職ももらい、結婚し、子どもも一人生まれました。

しかしながら自分の意志でというわけではなく
他人に期待されるがままにこれまで生きてきました。

苦しんでいる方からすれば贅沢な悩みだと思います。

本能で「死にたくない」とは思っているのだとは思いますが、
「さっさと死んで面倒をすべて終わらせたい」という気持ちも本音ではあります。

親や妻、子どもが悲しむ、困るという考えもあるにはありますが、
本当はそんなことどうでもいいです。

どうにか楽に、シンプルに、手短に人生を消化する方法はございませんでしょうか?
死んでないだけ、という状況に嫌気がさしています。

よろしくお願い致します。

2022年3月7日 19:27

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今 幸せであることに気付いて下さい…。

 ご相談内容にはこれと言って深刻なお悩みの原因が書かれていません。どうにも漠然としていらっしゃいますね。御自分でおっしゃっているように他者からすれば『贅沢な悩み』の部類なのかも知れません。
 でも、今お辛いのは事実だと思います…悩みに「贅沢」も「贅沢でない」もありませんよね。「さっさと死んで面倒をすべて終わらせたい」という気持ちがおありということは深刻な問題だとおもいます。
 心がお疲れになっていないでしょうか…その辺のことは書かれていないので分かりませんが、御自身ではその点をどう感じていらっしゃるでしょうか。
 もしかすると、仕事や御家族など「欲する様々なものを手に入れた」(このような表現お許し下さい)ことで、次の目標を失っている状況ということも有り得ますね。
 さらなる目標を立て、それに向かって邁進するのもありだと思います。
 ただ、そうでなくても今の御自分が置かれている状況にしっかりと目を向けることは大切だと思います。
 あなたの余り面白くない日常は、余り面白くないどころか「毎日ヘトヘトになるまで働いている」多くの方々によって支えられています。
 そして、その際たるお方が妻君ではありませんか。子育てや家事などで毎日毎日疲れ果てている…それが為にあなたとの時間も取れない状態にあるということはありませんか。
 どうか、御自身のお気持ちより、妻君のお気持ちに思いを致して下さい。お声掛けて下さい…労って下さい。
 ご家庭内での会話を大切になさって下さい。
 そして、家庭や会社での「面倒」こそが、「面倒を掛けられる、また逆に掛ける関係」こそが「幸せそのもの」であるのだと気付いて下さい。それらは永遠に存在するものではなく、変わっていき、また消えていく儚いものであることに思いを致して下さい。
 どうか、今一度すぐ近くにある この上ない幸せに気付き、感謝をなさって下さい。
 「幸せとはつかむものでは無く、今感じるべきもの」です。
 あなた方御家族に、既に仏様の慈愛は降り注がれていますよ…。 

2022年3月7日 21:15
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有り難し
おきもち


ご自分の人生を歩みましょう

貴方の辛い胸の内、生きづらさを書いてくださいましてありがとうございます。

今の貴方は、今まで全て人のためを重視して来られて、人がつまり、ご両親や奥様やお子様が望むこと、周りが心地よいことを最優先に行動されて来たのですね。

おそらく自分の人生を自分が歩んでいるという実感が無いのではないでしょうか?

会社でも上司や同僚が望むことを最優先されて来たのでしょう。

私の推測ですが、おそらく、、、貴方はご自分の心を閉ざして生活をなさっているのかもしれません。

何故心を閉ざしてしまったのか…何かが過去や幼い頃にあったのかもしれませんね。

そして、ご自分が心を閉ざしてしまったことも忘れてしまったのかもしれません。
ご自分に対しても心を閉ざしているように感じます。

そして、その状態を当たり前のように生きて、、、おそらく砂を噛むような虚しい生活になってしまったのかもしれませんね。

自分の望みや生き甲斐が、心を閉ざしてしまった自分には見つけられないからです。

おそらくは、貴方の過去にあったであろう『何か』を貴方自身も見たくなくて、忘れてしまった可能性もあるのではないかと思います。

可能であれば、臨床心理士さんのおられる病院を探されて(心理療法士ではなく臨床心理士です)ご自分が安心出来る臨床心理士さんを探されて、腰を据えてカウンセリングを受けてみてはいかがでしょうか?

今の状況は、決して健康な状況では無いと私は思います。

他の人のためではなく、
ご自分の人生をご自分がしっかりと認識して、ご自分の気持ちを無視しないで、ご自分の幸せを認識できる心の状態になる事を祈っております。

合掌

2022年3月8日 10:31
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有り難し
おきもち


仏道に入門して37年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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質問者からのお礼

お忙しい中お答えいただきありがとうございます。

なんとなくですが、「いま」を見ることができていなかったのかもしれません。
「いま、幸せである」ということが感じられるようになれたらと思います。

相談できるような相手もおりませんでしたので、皆様に聞いていただき、お答えいただいただけでもすこし気持ちが軽くなりました。

また同じような思いになったとき、繰り返し読ませていただきます。

本当にありがとうございます。

「生きること・生きるとは」問答一覧

精神病は生きるために作られた?

今まで気分の波や死にたい気持ちをごまかして生きてきました。 合わない職場や人間関係は自ら退き、自分の居場所を探し続けてきました。   年齢的にも先は長いので死ぬことよりは生きることを考えている方がよいと考え安定した生活を送る工夫をしています。   自分はこれでいいと思っていた矢先、同棲している彼から精神科の受診を勧められました。 (私の情緒が変わった時の対処法と安定する方法があれば知りたいとのことで)   ネットの情報だけですが、なんとなく自分には当てはまる病気があったものの、病気のせいにするのが怖くて避けていましたが、同居人に迷惑をかけてはいけないと受診したら、双極性障害と診断されました。   医師は精神病はあくまでも統計的な診断なので…と言っており、原因不明な病名も多いです。ネットで出てくる情報を言えば簡単に精神病と診断されるのではと思いました。 精神病のせいにして本来できることもしなくなる人は少し苦手でした。 (現状苦しんでおられる方、前向きに治療をしている方、ごめんなさい)   自分は病気とは知らずに戦っていたため日常生活にも影響は出ず、周りにもバレていませんが、正直診断された時に、性格ではなく症状だと分かった時とても安心してしまいました。   自分は知った上で周りには言わないことはもちろん、治りにくい病気らしいので付き合っていくと決めました。自分を受け入れる一歩だったと思っています。   原因が明確ではないのに病名をつけたのは人々に安心させるためなのでしょうか。   お坊さんのお考えをお聞きしたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

生きたいと思いたいです

30代女です。9ヶ月程前に最愛の母を癌で亡くしました。(生まれてからずっと実家暮らしでした。) 母は約6年闘病し、死ぬ1ヶ月程前に病状が急速に悪化し、定期の受診をした際に緊急入院になりました。コロナ禍の為に面会が出来ず、病院から呼び出された時には母は意識が無く、手を握って呼びかけていましたが、回復しないまま亡くなってしまいました。 緊急入院した当日、私は仕事に行っていた為、母に言った最後の言葉は、前日の夜の「明日は病院いく日だから、早う寝なあかんよ。」という冷たい言葉でした。そんな事もあって、母の死に対して、後悔とか、懺悔とか、悲しみとか、とにかくとてもショックが大きくて、今でも母の事を考えると涙が止まりません。 そのため、母が亡くなってからは、例えば交通事故などで明日自分が死んでも構わないと思うようになりました。でも痛いのや怖いのは苦手なので、自殺願望はありませんし、病気とかも怖いので、なりたくないです。 ちなみに、日常生活は普通に送れていますし、趣味などを楽しんでる時は普通に笑えます。仕事も一生懸命やってますし、ご飯も美味しいと感じます。 自分が死んだら父や兄姉、友達、職場の仲間も"悲しんで"くれるとは思いますが、"困る"事は無いと思います。独身だし、財産もないし、仕事は別の人が引き継げば良いし。だから適当なタイミングで、あっさり死ねると良いなと思ってしまいます。 こんな考え、生きたくて必死で頑張っておられる方々に失礼な考えだとは分かっております。本当に身勝手だと自覚してます。 だからやっぱり「死んでも良い」ではなく、「生きたい」と思えるようになりたいです。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2

自殺する前に。

読んで不快に思われる方も多いかもしれません。申し訳ありません。 匿名ですので、偽りなく書きます。 24歳女です。中学から不登校になり、通信制の高校を卒業しました。専門学校を中退、就職しましたが一年ほどで退職し、風俗で働き始めました。風俗を始めた目的は、お金に困っている母にお金を残すためでした。この頃には既に自殺願望が根付いていましたので、どうせ死ぬならと、死ぬことを目標にがむしゃらに働きました。向いていたのかそれなりに稼ぎ貯金をしました。その後1年半ほどで鬱が酷くなり引きこもりました。何もしないまま2年が過ぎました。皮肉なことに風俗で稼いだ貯金のおかげで、お金には困リませんでした。 そんななか、私と結婚したいという人が現れました。風俗のお客様だった人です。そういう関係で、風俗を辞めてからも定期的に援助をしてくださっていた方でした。 お金に余裕のある方で、私の鬱にも理解があります。 今まで通りお金を渡すから家事をしてくれればいいと言います。もし働きたいなら働いてもいいと言います。 もちろん体目的でしょうが、それだけでもないと思います。 3年ほどの付き合いで、お互いに情はあるのでしょう。 死ぬくらいなら、結婚してもいいのかもしれません。 そして、本当に前にも後ろにも進めなくなってから、死ねばいいのかもしれません。 どう思われますか? 本音を言うと、どうでもいいのです。 私は、その方に恋をしているわけでもなく、嫌っているわけでもなく。 その方といることで救われるわけでもなく。 肉体関係にも意味はなく、お金の代償でしかないのです。 このまま生きていても、私はずっと苦しいままでしょう。 ですが死ぬ踏ん切りもついてはいないのです。 どうしてこんな生き方しかできないのでしょうね。どこから間違ったのか、今も間違い続けているのか… 長々と申し訳ありません。 読んでいただき、ありがとうございました。 何かお言葉をいただけると嬉しいです。

有り難し有り難し 42
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延命処置をどのように考えますか?

仏教の観点から、人工呼吸器等のいわゆる延命処置を行うことについてどう考えるのかをお聞きしたいです。 私には重度の身体障害を持った20代の姉がいます。自分で体を動かしたり、考えていることを口に出したりすることはできず、ものを認識しているのかどうか、視力がはっきりしているのかどうかも分かりません。食事は胃瘻チューブから液体を注入し、数年前に気管切開をして今は喉の穴から呼吸をしています。その手術により、前までは「あー、」と時々出せていた声も出すことができなくなりました。 その姉が数週間前から調子を崩し、現在ICUで人工呼吸器を付けています。私たち家族には、ついにここまで来てしまった、という感覚があります。当初は人工呼吸器を外して今まで通り在宅で過ごすことができるようになるかもしれないという希望があったのですが、先日お医者さんから「人工呼吸器は外せないかもしれない」と言われてしまいました。 今まで何度も入退院を繰り返し、胃や喉に穴を開ける手術を乗り越える度に、自分で意思表示ができない姉の代わりに、私たち家族が処置を受けることの承諾をしてきました。今回も「挿管をしますか?」とお医者さんから決断を迫られ、苦しそうな姉をどうにかしたいという私たちの気持ちで「YES」と決断しましたが、これで良かったのかどうかは分かりません。電気が無ければ生きていけない体になってしまい、人工呼吸器を止めれば命が危うくなるという状態になってしまったことや、姉がどういう気持ちでいるのかが分からず、沢山の管を繋がれた様子を見ると、本当は本人が望んでいないのではないかと思ったりもして苦しい気持ちになります。「これで良かったんだよ」と肯定して欲しいという自分のエゴから質問をしているのだと思いますが、自分の感情から一歩引いて、仏教の観点から、人工呼吸器などの延命処置を受けることについて、違う見方ができれば…と思い質問させていただきました。 医療の技術が進歩し、本来は亡くなっていたはずの命が引き延ばされていっていますが、「自然の力に抗っている」というマイナスな捉え方をされるのでしょうか? 長文を読んでいただきありがとうございます。

有り難し有り難し 43
回答数回答 2

なぜみんな生きているのか

もう生きたくないです。飼っていたハムスターを亡くして以降、私にはこれ以上幸せだと思える日々は来ないだろうと思っています。実際に苦痛ばかりの日々を送っています。 少し前まで働いていた職場でいじめがありました。私はターゲットにされていませんでしたが、いじめられている人を庇ったりしているうちに私の立場も危うくなり、人間不信になって辞めました。もう人間の中で生きたくないです。長く生きれば生きるほど優しい心を失っていきます。どこにいっても争いやいじめがあります。楽しかったことも楽しくなくなりました。精神科でいくら薬をもらって飲んだところで心境に劇的な変化があるわけではありません。生きてもいないし死んでもいない中途半端な状態に感じます。 まだ今は親に迷惑をかけないためだけに死んでいません。準備ができるまで、それまでは持ちこたえようと思っていますが、波のように暗い感情が押し寄せてきて負けてしまいそうです。耐えたところで人生の幸せのピークは過ぎました。人生は幸せが2割、あとは苦痛で構成されている気がします。苦痛ばかりなのに皆どうして生きるのか疑問です。 乱文すみません。自分でもよく考えがまとまってないです。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

命に対するジレンマ、疑問

看護師をしています。 私は病院で働く中で多くの患者様を見てきました。軽症から重症まで。若い人から超高齢者まで。 その中で、看護師として働くことを諦めるような悩みを抱えました。 ご高齢の方や終末期の方は、死への恐怖というより現在ある痛みや苦しみ、排泄など恥ずかしい部分を他人に見られる羞恥心などから、もう楽にしてくれという方が多くいました。殺してくれとも。 命を救う側の私たちは、目の前の命を救うという責任があります。見捨てることはできません。 しかし、それでも何度も何度も楽になりたい、あちらの世界に生きたい、今自分の意思で生きているのではなく他者に生かされてるだけだと、涙ながらに、そして時には怒りながら訴えられました。 そんな方々を多くみる中で、私は看護師として生きることを諦めないようにお話をする機会もありました。 その中で私は、ここが生き地獄だと思っている人たちを救うことが本当に人のためになるのだろうかと疑問を持ちました。 本人の意思ではないのに、多くの管で繋がれ、ベッドに縛り付けられてまで命を守ることが本当に正しいのだろうかと疑問に思いはじめました。 私はこの疑問に対する自分の中での答えが出ず、看護師を一度完全に辞めました。このような疑問を持つことは、命を救う立場の者としてあってはならないと思ったからです。 世の中には尊厳死や安楽死などの言葉が存在します。尊厳死は、延命治療を無理にせず苦痛を取り除きながら、自然に死を迎えられるようにというものですが、日本の医療の現状としてなかなか行われていないのも事実です。苦痛は痛みだけではありませんし。安楽死などもっての外です。 以上の過程があった上で相談したいことは以下の通りです。 ・生命は大切にしようとよく言われるが、そもそもその考え方はどこから生まれたのでしょうか?生き地獄だったとしても必ず守らなければならないのでしょうか? ・安楽死などの考え方について、仏教の視点からはどのような考えがあるのでしょうか? ・命の大切さという根本的なところが分からなくなっている私は医療従事者として失格でしょうか? 長文で申し訳ありません。 お時間のある際にご回答いただけると幸いです。

有り難し有り難し 27
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