祖父に思いを伝えたい
祖父のことが嫌いです。
ここ数年で体力が落ち、間もなく施設に入ります。施設に入ることが決まってから、今までの鬱憤を晴らすかのように、同居している家族一人一人に対しての不満、愚痴、嫌みを本人のいるところで言います。
本当に気分が悪いですし、同居している母や私ももう何度も泣いています。
孫である私に対しては、私の旦那の愚痴を言います。例えば旦那が遊びに来たときに料理を作ってくれるのですが、一度も美味しいと思ったことがないと私の前で言います。作ってもらってよく言えるなと思います。その他にも散々言います。本当に許せません。そして一番許せないのは旦那の両親のことを悪く言うことです。私は義両親にいつも何かと良くしてもらっていて、大好きで大切なのです。そんな大切な人のことを悪く言われ、涙が止まりません。
祖父はもう間もなく施設に入ります。
施設に入る前に、私は祖父に気持ちを伝えようと思っています。
旦那のことを悪く言うこと(たとえ私のことが心配で言っているのだとしても)、旦那の両親までをも悪く言うこと、この二点については本当に悲しいし傷付いたしどうしても許せないと。一生許さない。と伝えるつもりです。
私は伝えて後悔はしないと思っていますが、ご意見をお聞かせ下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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第三者の「意見」がどれほど資するかは疑問ですが
こんにちは。
あなたはすでに結論が出ているようです。
「伝えて後悔はしないと思っています」と書いていますから。
結論が出ている人に、第三者の「意見」がどれほど資するかは疑問ですが、一言だけ書きましょう。
「祖父に思いを伝えたい」とあなたは書いています。
それは積年の恨みつらみがあるから、でしょう。
ただ、私には「思いを伝えたい」というよりも、「一生許さない」という断罪の結論を以て報復したい、というように聞こえます。通常、「思いを伝え」るとは「本当に悲しいし傷付いた」という感情を述べて、相手の出方を見る、待つという行為です。そこには、もしかしたら反省の弁があるかもしれない、よくよく相手の立場に立てば自分にも一方的な物言いがあったかもしれない、そういう相互の交流の余地を残した言い方です。しかし、「一生許さない」は結論ありきです。
文面だけで判断すると、以下のようにも読めます。
「祖父」は、「ここ数年で体力が落ち」、「施設に入ることが決まってから、今までの鬱憤を晴らすかのように」「不満、愚痴、嫌みを本人のいるところで言」う、とあります。「ここ数年」以前にどのような人柄だったかは文面からはわかりません。以前からの延長上で今があるのか、突然人柄が変わったのか。要支援、要介護その辺の状況もわかりません
しかし、「施設」への入所と他者との集団生活ではなく、慣れ親しんだ家族と同居し、住み慣れた家で命を終えたい、そう思っている人も少なからずいます。やむを得ない事情があったにしろ、「施設」というのは「祖父」にとって苦渋の決断とも言えるし、自宅が終の棲家にならなかった(場合によっては家族が終の棲家にさせてくれなかった)という無念さもあるでしょう。たとえ、それがどんなに勝手な人格であってもです。
その前提で「間もなく施設に入」るのが「祖父」であるとるすならば、「一生許さない」と一方的に結論を告げ決別することが、孫であるあなたができる最善なのか、それはよく考えたほうが良いと思います。
質問者からのお礼
ありがとうございました。もう一度思いとどまることができました。