後悔と、切なさと虚しさ。
母が急死して、もう1ヶ月経ち、ここにたどり着きました。
三日、四日の出来ごとです。
朝、実家にバイクを置き、顔を会わせた時は、普通でした。
夜に会社から実家にバイクを取りに行った時、顔を会わせた時は、正直、死相が出てる顔でした。
親に対して、死相が出てるとは言えず、急に5、6年歳とったねと、とっさに言ってしまいました。
次の日は、用事があり休みでしたので、普段電話しませんが、胸騒ぎで朝から電話したら普通でした。
夕方にも、気になって電話したら会話が途中で聞こえなくなり、急いで行ったら倒れてました。
救急車を呼び、緊急手術となりましたが、深夜に手術の麻酔の前に、短いながらも、お母さん本当にヤバイよ。
生きるか死ぬかの瀬戸際だよと言いました。
母は、ニッコリ笑いながら、うん判ったよと言い、それが最後の会話になりました。
手術は終わったのですが、夜中に一旦帰り、提出する書類とかを用意したりなどで、あわただしかったです。
次の日、集中治療室に行きたくなかったんですが、集中治療室のチャイムを鳴らした時に、今亡くなりましたと言われました。
父親が亡くなってから、いつしかこうなる時は判ってたんですが、父親が亡くなってから永く、いつしか邪険に扱ってました。
亡くなってから、後悔とか、切なさ虚しさなど、込み上げてきてる毎日です。
無理にでも、直感に頼って病院に連れてけば良かったかなと。
たら、れば言っても遅いですが…
唯一、親孝行出来たと言えば、結婚して孫も見させられて、孫の面倒を見させたと言うか短いながらも触れ合えたくらいです。
せめて1ヶ月、永く生きてたらランドセル姿を見れたのにと残念でなりません。
葬儀後の二日目に、静かに食事中に、真横で実家で自分かあげた杖に付けてる鈴の音がしました。
鈴なんてありませんし、杖もありません。
ちなみに、嫁も聞こえてました。
49日まで母の遺骨がある部屋の出来ごとなので、ありがとうねって意味だったのかなと、勝手に思ってます。
自分の誕生日前で、未だにマザコンって、重い知らされた様な出来ごとでした。
結婚が遅く、子供が産まれましたが… 母に甘えてた50代の初老。
たった三日、四日の出来ごとで、母親が他界してしまい、後から後悔と虚しさ、せつなさとか色々な気持ちが、入り乱れています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
後悔を後悔で終わらせないために
質問拝見しました。
ご母堂様のご冥福をお祈りします。
さて、人が亡くなるとどうしても後悔に襲われます。
酷い扱いをした、サインを見逃した
などですね。
この後悔は【もう何もしてあげれない】から発生するものです。
しかしながらあなたにはまだやることがあります。
それはご母堂様の冥福を我々以上に日々祈ることです。
後悔を後悔で終わらせるのではなく生前出来なかったぶん死後祈るという形で恩返しをしたらいいのです。
ご母堂様に今から唯一できることを実践することで今からでもできる親孝行にどうぞ励み、一日も早い心の安寧を祈念いたします。
質問者からのお礼
さっそくの返事、本当にありがとうございます。
読むにつれ、確かになって考えになりました。
後向きな部分でしか動けなかったですが、少し背中を押された感覚になりました。