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終わった片想いに折り合いを付ける方法

回答数回答 1
有り難し有り難し 8

久しぶりに投稿させていただきます。
以前は仕事も自分自身も何もかも辛く、毎週のようにお話を聞いていただいていたのですが、仕事で希望が叶ったことを皮切りに色々な状況が好転しはじめています。

しかし、終わった片想いの相手について毎日考えてしまいます。
年下の方なのですが、本当に立ち居振る舞い一つ一つを見習うべきだと出会った初日に思わされるような方でした。彼のおかげで、自分を卑下し続けていた気持ちが少し好転したと思います。

告白などはしていないものの、彼と話し、私の気持ちは諦めるべきだとはっきりわかりました。
今後は会う機会もないのですが、こちらから連絡などもするべきではない、何もできない状況であると頭では理解しています。

彼は私の価値観を変えてくれた大切な存在であり、もう二度と会えなかったとしても一生幸せを願い、応援し続けることには変わりありません。
彼には良い未来が待っているとしか思いませんが、できれば私の近くで30歳、40歳と歳を重ねて欲しかった、その姿を見たかったと思うと胸が締め付けられます。

誰しも心残りや忘れられない人がいて、一点の曇りもない人なんていないと思いますが、私は人一倍前に進めずくよくよし続けている時間が長い気がします。
もう少し前向きになりたいです。

2022年5月22日 21:22

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本人ではない内なる肖像を見抜く

それでは彼に合わせてあげましょう。
後ろを振り返ってみてください。
「(´-`*)ご本人様の登場です!」(モノマネか)
…いませんね。
いませんでしたね。
すみませんね。w(._.)w
ですが、もっといい方法があります。
彼のことをよーく念じてください。
どんな時に彼は輝いていましたか?どんな時にキュン💕としましたか?
そのイメージを明確に21秒間温めて胸に手を当てて思い返して下さい。
それでは!後ろを振り返ってみましょう。
ご本人様、登場です!(モノマネTVか)
(´-`*)…
いませんね。
ヒュー…🍂
いませんでしたね。シュン。
まだまだです。
もっといい方法があります。
先ほどの21秒+さらに21秒、彼のイメージ、映像を念じます。
姿があるか。色形があるか。姿を掴めるか。
実態はないけれど、彼の声が聞こえるような…、今、目の前にはいないのだけれども、なんだか、傍にいてくれた時のあの暖かな気持ちがよみがえるかの…ような…。
体がほっと緩みます。
それでは、準備完了です!
ゆーっくりと後ろを振り返ってみてみましょう。その前に!
故志村けん・ダチョウ倶楽部の追悼もかねて…、志村、後ろ後ろ!押すなよ押すなよ!期待を膨らませて…💔彼が押してくれるかもしれません…!
それでは右後ろ。つぎに左後ろ。
…(´-`*)…。
いませんね。
いませんでした。
すいませんでした。
これは何をやって頂いたかというと、肉体的にも精神的にも後ろを振り返るという行為をしていた間「その時、本当の彼はどこにいたの?」ということを念じて目を覚まして頂きたかったからです。
あなたはAを相手にしていました。
Aインナー彼氏様(記憶・妄想・イメージ)と
Bリアルタイムに動いている実在のLIVE中継の彼との区別をして頂く為でございます。彼はBです。
あなたの内なるAではありません。
これは人類みな共通。たとえ一緒に暮らしている人でも、人はその相手に対する実際の映像BではなくAの方をご本人様と誤解していることに気づかないものです。まるで一人芝居のように内なるその人を相手にしていた。「それ」を知っていただき、そこから出離、出家して頂く為です。
それでは、最後にもう一度、後ろをご覧ください!
ご本人様の登場です…!
そこに居るのは、そのたった今のその景色を見ている貴女自身です。
おかえりなさいませ。✨

2022年5月23日 13:45
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下覚元先生
すとんと腑に落ちるお答えでした。
どこかで彼も私のことをまだ必要としていると思いたかったのですが、それは私が作り出した虚像で、実際の彼は知らないところで前に進んでいるのだろうなと。
諦めなさいと言われてるわけではないのに、すっきりと諦めて目の前のことに集中できそうです。ありがとうございました。

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