宗派は一つに絞らなければいけませんか?
嫁ぎ先の父が亡くなり、お葬式をするにあたって本家から浄土真宗本願寺派である事を教えてもらいました。私は今まで特定の宗教を信じたことはありませんが、父が阿弥陀様の後光の一部となり、苦しみなくいられるのであればそれに勝る事はないと思っています。
さて、タイトルについての質問です。
ご縁があったのか偶然なのか、不動明王様と倶利伽羅龍王について知る機会がありました。不動明王様、その化身である倶利伽羅龍王には全ての煩悩や怒りを鎮め、消滅させる力があるという所まで調べることができました。
お不動さんという単語には耳馴染みがあります。真言宗や天台宗等幅広く信仰されているらしい所まで分かりましたが、浄土真宗の教えとは大きく異なる印象を受けました。
父の死をきっかけに、浄土真宗本願寺派の菩提寺とのご縁を結んで頂きましたが、現在、私が抱えている(幼少時から続いた虐待、高卒で就職後も続いた人格否定やコントロールに)怒り、悔しさ、悲しみ、苦しさ、等々が薄れません。
自分が被虐児であった事実を飲み下し、せめて炊事洗濯だけでもできるようになりたいと(現在も取りかかろうとすると体が竦み、パニック状態になります)精神科の先生や主人と話し合い『出来る事を出来る時に出来る分だけ』等を目標に掲げて日々を過ごしています。
治療の開始から、10年近くが経ちました。先生や主人に支えられながら手探りで進み、戻り、日常の精神状態もフラットでいられる日も多くなりました。
しかし凪いだ日が続くと、あの地獄のような頃が夢に出てきます。二度と会う事も声を聞く必要もなくなったというのに。
目覚めた時からフラッシュバックに苛まれ、怒りの感情が暴走します。幸い自分以外を傷つける事はありませんが、のたうち回る苦しみは言葉で言い表せません。
先述の通り、我が家の菩提寺は浄土真宗です。しかし私は自分の身の内にある怒りや悲しみ、悔しさ等々を消化していきたいのです。
月参りに来て下さっている菩提寺様とは異なる宗派へ、救いを求めていいのでしょうか?双方へ失礼ではないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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信仰は自由です
拝読させて頂きました。
なるほど、本家と菩提寺さんとの関係もあるかと思います。ですからそのつながりも大切になさって頂いてもよろしいかと思います。
そしてあなたが他に信仰を持たれることも自由です。あなたが生きる支えとなる信仰や救いとなる神仏があり信じたいと思われるならば信仰を持たれてもいいかと思います。
ちなみに私のウチはお寺ですけれども、私の家族のお寺として真言宗•日蓮宗•浄土真宗のお寺とお付き合いして毎年お参りさせて頂いております。
ですから信仰のあり方はそれぞれの方々で自由ですからね。
あなたが毎日を心から安心なさってご生活なさっていかれます様にと心より神仏やご先祖様方にお祈りさせて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma様、ご教示ありがとうございました。お礼が遅くなり、申し訳ございません。
信仰する心というものは、自由なのですね。
以前、ご縁のあったお坊様に、私の昔の話、それが現在へと繋がっている事について話を聞いていただく機会があったのですが「これまで仏教に限らず、何か宗教に助けを求める事はなかったのですか?」と訊ねられました。問われて初めて、そういった気持ちが自分の中になかった事に思い至り、少々時間を要しましたが「宗教を含め、誰かに助けを求めてもどうにもならない」といった理由だった事を思い出しました。
長くなるので割愛しますが、当時は助けを求める相手、場所というものがなかったため、SOSを求めるという発想がありませんでした。
今は誰かに甘えたり助けを求めても、咎められたり、怠け者であると責められる事はありません。怯えず、相手を信じても大丈夫だと、ようやく安心できるようになったのかもしれません。だからこそ、不動明王様にすがりたいという気持ちになれたのかもしれないと思います。
信仰は自由であると、優しく背中を押していただいたお陰で、またもう一歩進むことができそうです。ありがとうございました。