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形見を無くしてしまい酷く後悔してます

回答数回答 2
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昨日、大好きだった祖母の形見をなくしてしまいました。
今回ここで質問させて頂いたのは、亡くなった祖母の形見だからです。
高級時計なのですが、高級時計無くしたことがショックなのではなく祖母の形見をなくしたということがショックでした。
そこで、いま中古品で同じものを買おうか迷っているのですがどうなのでしょうか…それが正しいことなのか、また、何が正しいのか分かりません…


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

貴女自身が形見なのです。

形見と言えば故人様の使われていた物を大半の方が想像されると思います。

貴女自身もお母様の形見をなくされ、今やるせない気持ちで一杯でいらっしゃるのでしょう…。

ですが、形見は物だけではないのです。

貴女は毎朝顔を洗う際、又はお化粧をされる際に、鏡でご自分の顔をご覧になられると思います。

よくご覧になって下さい。

貴女の頭の形、目、鼻、口、仕草…亡くなられたお母様にそっくりな部分がありませんか?

それも、お母様が貴女に残していってくれた形見なのではないでしょうか。

決して失う事のない形見を貴女は生まれながらにして、すでにお持ちなのです。

お母様は今はもういらっしゃいませんが、これからも共に人生を歩まれているおつもりで日々強く生きて下さい。

隆介 合掌

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有り難し
おきもち

少しでも皆様のお気持ちに心を寄せて行けたらと思っています、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

形見とは物ではなく込められた思い

形見には故人の人生や思いが染み込んでいます。
まったく同じ物を手に入れてもお祖母様の思いまでは取り戻すことはできないのです。
あなたの心にこそ形見が残っているはずです。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ありがたいお言葉ありがとうございます。

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