この出来事から自分は何を学べばよいのか?
日本を少しでもビジネスの面から良くして、後世に残したいという思いから、これまで大企業や外資系、ITベンチャーで研鑽をつみ2年前に仲間と3名で起業しました。
一方、コロナ真っ只中ということや、ゼロから事業を立ち上げる大変さなどもあり、創業1年も経たないうちに他の仲間2人がギブアップし、その後約1年半一人で事業の運営に奔走してきました。
これまでもどちらかというと色々な修羅場も経験してきましたし、胆力がある方の人間だとは思っており、事業をやっていく上での色々な試練に対して出来る限りの手を尽くして頑張ってきました。
事業自体は、色々な人に客観的に意見をもらって改善し、良いサービスという評価は頂いているものの、なかなか突破口を見いだせず、気力も尽き、ギリギリのところで踏ん張っています。
この数年、家族が大きな病にかかったり、仲間が離れたり、もしくは仲間から大きな裏切りをうけたり、親しい人が離れていったり、あまりにも自分にとって辛いことが重なり、その上で渾身の力を込めて進めていた事業も上手く行かず、八方塞がりに感じています。
一方、ある程度肩の力を抜いてやっている副業はトントン拍子に上手く進んでおり、生活はなんとか心配なくやれております。
こうした行き詰まりを人生において感じるとき、私の経験では自分の人生において不要なものに執着しているか、もしくは取り組むべきテーマは合っているが、やり方が正しくないよというお天道様からのメッセージなのかな、、、と思っています。
何度も内省して、自分の反省点や変えるべきことがないかを見つめ直してはいるのですが、道が開けるような感覚には至らず、悶々とし、気力も尽きております。
このような八方塞がりに感じるとき、どのようなスタンスで取り組めば、より突破口を見つけやすいでしょうか?それともただこの時が過ぎ去るのを耐える、一旦投げ出してみる、肩の力を抜いたほうがよいのでしょうか?
アドアイスをいただけますと大変ありがたく存じます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
求める「突破口」とは
仏教は、悩み苦しみの原因である煩悩を消したり制御したりして、悩み苦しみやストレスを消したり制御したりする教えです。
なので、仏教で提示できる「突破口」は悩み苦しみを軽減する道であり、それは、必ずしもビジネスの成功ではないと思います。
欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩は、自分と他人の苦しみを増やす原因になりがちです。
まずは自分の欲・怒り・怠け・プライドに素早く気づく煩悩スキャンの習慣と、
他人の煩悩は大目に見て「この人にも意外と可愛いところがあるな」と思う慈悲の眼差しを、
意識しましょう。
また、心・気分は瞬間瞬間に浮かんで消えていく無常な現象であり、「私」も瞬間ごとに新しい自分に生まれ変わっていると理解し、過去は過ぎ去りもう無い、未来は未だ来たらずまだ無いと思ってみましょう。
人生は、どうせできることしかできないのだから、今できることをできる範囲でやれば「合格人生だ」と、100点満点ではない自分でも許してあげましょう。
質問者からのお礼
>人生は、どうせできることしかできないのだから、今できることをできる範囲でやれば「合格人生だ」と、100点満点ではない自分でも許してあげましょう。
本当におっしゃる通りですね。出来ないことよりも出来たことを見つめ、感情に振り回されず自分を客観視することを心がけたいと思います。
有難うございます。