夫が急死 その後の心の持ち方は正しいのか
夫が先月末、47歳で急死しました。
大動脈解離で倒れてそのまま。
私は36歳、年の差婚です。
6歳の娘がおります。
この2年ほど夫とは育児や家事のことで喧嘩が絶えず、別居もしましたが、亡くなる直前、ようやく二人の歯車が少しずつあって、あーこのまま幸せに暮らしていけるんじゃないか、と思った矢先のことでした。
倒れた瞬間、夫は私を呼びました。
助かりこそしませんでしたが、出先で同じ空間にいたので、倒れてすぐ娘と駆けつけ、救急車で祈る気持ちで付き添えました。
色々な奇跡が重なって、誰もが助かったと思いましたが、助かりませんでした。
そんな夫の通夜葬儀は、喪主として立派に務めることができたと思います。
その後の手続きなども、なんとか頑張ってこれたのも、周りの支え合ってこそです。
ある日、夫の携帯電話を整理していたところ、とあるSNSに通知があり、夫の友人かな?と開いたところ、それは夫が鍵をかけて私の愚痴をつぶやくアカウントでした。
それはもう、目を塞ぎたくなるほど、頭が真っ白になるほど、ひどい言われようで。
一瞬、体中の血の気が引くほど落ち込みましたが、急に、あれ?でも私も夫のこと悪く言ってた、お互い様なのでは?と思え、それまで、夫の命を奪ったのが自分がストレスをかけたせいだと罪悪感で潰されそうだったので、お互いに苦しんでいたから、もういいじゃないか、と思えました。
それから、なんというか、心にあった黒い靄が全部晴れて、清々しく、娘と一緒に第二の人生を歩もうとすら思えています。
ただ、そんな自分が怖くもあります。
またこんな気持ちでいて、夫の供養にならないのでは、という思いもあります。
私のこの感覚は、不謹慎でしょうか?
それとも、生きるということは、こういうものなのでしょうか?
今までは、人のことも自分に対しても、お天道様は見てるから立派であらねば、と思って生きてきました。
でもなんというか、人間はみんな愚かなんだ、だから毎日自分が幸せで、自分の愛する人が幸せなら、なんでもいいか、と思えています。
すごく生きやすくなった気がしますが、これは人の道に外れた生き方か教えていただきたいです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご仏縁~仏様の教えは自己を問う鏡
ご相談拝読しました。かなり以前のご質問でもご縁をいただいておりました。またよろしくお願いします。
まずはご主人のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。
さて、私は今のあなたの心境を不謹慎とも人の道に外れた生き方とも思いません。に人間の愚かな部分を認める・・・それも他者についてだけでなく自分にも愚かさがあることを認めるのは中々できることではありません。それによって心にあった黒い靄が全部晴れて清々しくなったことは素晴らしいことだと思います。
ただし、人の死というものはそんなに簡単に整理できるものではないのだと思います。ご主人への思いに整理がついたとしても、これからの供養を通してご主人の死については大事に考えていただけたらよい仏縁になると思います。ご主人の死を考えることは自分の死を考えることになるからです。いつ、それがどのような形で訪れるかわからないからこそ、人はその避けられない事実から自分の生を問われるのだと思います。
人間は複雑な生き物です。愚痴をこぼしたいことと、相手に伝えたいこと、表面的な思いと、心の底の本当の願いは、矛盾しつつ同居するものでしょう。SNSのアカウントはご主人なりの気持ちの整理であり、あなたに見せたいものではなかったのでしょうね。もちろん人ですからそうした思いも抱えつつ、それでもあなたに伝えたかったことは歯車が噛み合った幸せな暮らしの中で表現されていたことなのかもしれません。
そうした色々なものを抱えつつ、人間は迷いながら生き、そして死んでいくのでしょう。
その中で何を本当の願いとすべきか、これからはご主人がそのことを問わせてくれるのではないでしょうか。
心からお伝えください
拝読させて頂きました。
旦那様が突然お亡くなりになられたことを心よりお悔やみ申し上げます。あなたもお子さんもご家族も突然のことでしかも関係を修復なさっておられる矢先でしたでしょうからまさに青天の霹靂だったのではないかと思います。あなたや皆様のお気持ちを心よりお察しします。
旦那様が心安らかになります様にと心を込めてお祈り申し上げます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
旦那様は仏様に救われ導かれ、親しい方々やご先祖様が旦那様をあたたかくお迎えなさって下さいます。旦那様は仏様のもとで一切の迷いや苦しみや怒りや憎しみやうらみからも離れて心から穏やかになっていくでしょう。ご先祖様と一緒に清らかに円満に何の憂いもなくご成仏なさっていかれるでしょう。
旦那様はこれからもあなたやお子さんやご家族の皆さんを穏やかに優しくお見守りなさって下さいます。
旦那様とあなたやお子さんや皆さんとのご縁はこれからも永遠に続いていくのです。いつでもどこでもどんな状態であったとしても旦那様はあなたやお子さんのことを見守り続けていて下さるでしょう。
生前中はあなたといろんなことでも言い合ったりいさかいになったり多くの愚痴をおっしゃっておられたのでしょう。それはあなたも一緒でしょうからね。共に生きていく中では私達は誰もが未熟ですからついつい悪口や嫌な態度や姿勢をしてしまい相手を傷つけてしまうこともしばしば起こしてしまうのです。その様な愚かさが私達にはあるのです。
あなたの檀様への思いは様々今も湧き上がってくるでしょう、悲しさもさみしさも辛い思いも愚痴も心の中に湧き上がってくるかもしれません。どうか心から旦那様をご供養なさりながらあなたのその思いを全て心から旦那様にお伝えなさって下さいね、ありのまま素直にお伝えなさってみましょう。旦那様はあなたの思い全てを優しく受けとめて下さいます、あなたに耳を傾けあなたに寄り添って下さいます。
あなたもお子さんもこれからも旦那様に見守られながら生きていくのです。どうかこれからも旦那様とのご縁を大切になさって下さいね。
あなたとお子様が健やかに幸せに生きていかれます様に切に旦那様に祈ってます。
お返事ありがとうございます。旦那様は必ず皆様を見守り続けて下さいます。そのお部屋で旦那様のご供養をお坊様にお勤め頂いてもいいと思います。きっと旦那様に通じます。
質問者からのお礼
お二方ともに大変感謝を申し上げます。
夫の死と向き合い、自分の生死についても考えていきたいです。
追記なのですが、夫が亡くなったあと、夫の書斎に入るのが怖いです。
コロナ禍でほとんど在宅していたこともあり、夫の気配を感じるというか。
その部屋を今後自分の仕事部屋にしようかと思っていましたが、どうしても怖くて、なにかこの感覚を払拭する方法はありませんか?
夫が見守ってくれるというのはわかります。
それでも早くに亡くなった人が過ごしていた部屋、というのが自分になにか悪影響なのでは、という良くない気持ちが払拭できずおります。
住み替えるか、なにか清める方法があるか、アドバイスをいただきたいです。
よろしくお願いいたします